■そもそも「謎の神像」って神なの妖怪なの?

初見では絶対読めないし書けない字。これ1文字で「き」と読み、意味は「もののけ、一本足の怪物」と、ほぼこの神獣(?)専用の文字だったりする。

 と、ここまで「神像」だの「神獣」だの呼んできた謎の神様。その名を「*神(きのかみ)」という。ビャンビャン麺みたいなむちゃくちゃ難しい字で表示できないのでこちらに画像としてアップしておきます。いまでこそありがたい神様として祀られているものの、そもそもは紀元前5世紀の戦国時代から漢の頃にかけて成立した、中国最古の地理書『山海経(せんがいきょう)』に登場する謎の獣「*(き)」だとされている。

 この『山海経』、地理書といいつつ龍だの小人族だの一つ目野人だのUMAが満載の奇書。「*(き)」についても「東海の果て標高7千里の山(古代中国の1里は約400メートルなので280万メートル!)の頂上に棲む全身真っ青な牛のような生き物で角はなく足は1本」と解説されている。ちなみに挿絵ではこんな感じ。

『山海経』の挿絵より。なんか……けっこうかわいいw

■なんで古代中国の怪物が日本の山梨で神様に?

 そんな古代中国の怪物がなぜ、山梨の神社で神様として祀られているのか? 社伝や山梨県立博物館がまとめた資料によれば、作者も祀られた由来も年代もすべて謎ながら山の神として祀られていたものを、少なくとも宝永三年(1706)に儒学者の荻生徂徠(おぎゅう・そらい)が記録に残し、当時の神官のなんの像だかわからなかった神像を「*(き)」だろうと推定したのだという。

 なお、地元の伝承によれば、武田家が滅亡した際、神社に侵入した織田信長軍の兵士が乱暴狼藉を働き、「*神」の天罰で病気になったという話もあり、少なくとも江戸時代には「すっごい昔から祀られていた神様」という認識だったようだ。また、山の神と崇められる一方、「雷神」という性格も持っていて、周辺ではこの神像を描いたお札を貼ると雷除けになるとして信仰されたそうだ。

 読者の皆さんも「いい加減、解説はいいから画像を見せろや」と焦れているところだろうから、ここらで7年に一度のありがたい神像(神獣像)のお姿を公開しよう。

■これは……謎の牛というよりジラース?

こちらが貴重な「*神(きのかみ)」のお姿。ガラスケースの反射がひどいのでこの角度から失礼。各パーツの写真はフォトギャラリーで

 これを見て「ふむ……山海経に出てきた牛の化け物だな」と見抜いた徂徠はすごいわ。ガラス越しに対面した神獣像は、確かに足は1本なものの、顔つきは肉食獣というかゴジラ。いや、首もとにヒラヒラした襟のようなものがあるからジラースか。牛要素ゼロです、ゼロ。どうなってるの荻生センセイ!?

 江戸時代末期の天保年間に「*神信仰」が大ブームになり江戸にまで広まったそうだが、その時に頒布された「御真影」(下画像)を見ても、ランランと光る眼にあぐらをかいた巨大な鼻、なんかよくわからないヒラヒラと、やっぱり妖怪か怪獣、あるいはUMAというところ。怖いと言えば怖いし、どこか現代のゆるキャラに相通ずるような愛嬌もあったりして、そりゃブームも起きますわなというところ。

江戸時代に描かれた「御真影」。詳細に模写されているが、なぜか目はギラギラに

 同好の士と一緒に写真を撮ったり、御開帳の時にしか頒布されないありがたいお札をいただきながら、やはり気になったのは、「誰が、いつ、*神やその信仰をこの地に持ち込んだのか?」という点。ここからは仮説に仮説を積み上げた話になるが、お参りをした後、周辺を取材すると面白いことがわかった。