■うわさの起源は意外に最近だった?

千本鳥居で知られる伏見稲荷大社には「丑の刻参り」にまつわるうわさが……

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 さて、前編では実際に目撃した方の証言も交えつつ、伏見稲荷の丑の刻参りを巡る怪異譚を紹介してきたが、そもそも、そのうわさはいつからあったのだろうか?

 取材を行う中で聞いたもっとも古い時期は、2005年。2000年代前半には存在していたことになる。さらに調査を進めると、興味深い事実が浮かび上がってきた──。

 

「伏見稲荷での丑の刻参りのうわさは、平成に入ってから生まれたものではないでしょうか? それには稲荷山での民間信仰が関係しているかもしれません」

 

 そう語るのは、京都の大学で日本の宗教儀礼を研究している田辺さん(仮名・男性)だ。匿名ならばと取材に応えてくれた。

 

■民間信仰の総本山でもあった稲荷山

伏見から遠く離れた江戸でも盛んだった稲荷信仰(写真は羽田の穴守稲荷神社)

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「伏見稲荷のある稲荷山は、民間信仰が盛んなのです。それはなぜか? 話は江戸時代にさかのぼります。近世に稲荷勧請(かんじょう)という、伏見稲荷の御分霊である御神璽(おみたま)を授かり、家の守り神として祀ることが庶民の中で流行っていました。特に商人に人気で、江戸の町では『伊勢屋、稲荷に、犬の糞』という流行り言葉が生まれるくらい、商売の神様としてあちこちの商家が祀っていたのです」

 

この稲荷勧請は現在の「神棚で神様を祀る」行為とは似て非なるものだという。稲荷勧請を行うと、正式な「稲荷」の神様であるという免状が与えられた。そして年に一度は神主や僧侶、山伏など、幕府に認められた宗教者を呼んでお祭りを行っていたという。

 

「祀るのに神主以外も呼んでいることから分かりますが、純粋な神道ではありません。稲荷勧請で祀られたお稲荷さんは、その家や地域ごとに『〇〇稲荷』と名前が付けられました。オリジナル稲荷の誕生です」

 

 ところが明治に入り、神仏分離令が出されたことで状況が一変する。神道や仏教以外の民間信仰、流行り神などが迷信として禁じられてしまったのだ。

 

■明治政府により迫害された流行り神

伏見稲荷大社の敷地内には数々の「御塚(稲荷塚)」が残されている。

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「今まで気軽に拝んでいたお稲荷さんが、政府の定めた神道の形でしか拝むことができなくなってしまいました。お稲荷さんを拝んでいた人たちの中から、御塚(おつか)と呼ばれるものを稲荷山に作る人たちが現れます。御塚とは、自分のところのお稲荷さんを表す石碑です」

 

 稲荷山を登っていくと、あちらこちらに小さな社や石碑が点在している。それらが御塚だ。もともと稲荷山は江戸時代まで伏見稲荷大社の私有地で、許可なく立ち入ったり奉納したりすることは禁じられていた。しかし明治に入り上知令(あげちれい)が出され、寺社の私有地は国の官有地となる。社の私有地でなくなったことから、民たちは勝手にぼこぼこと御塚を作っていった。

 

「迫害されてしまったから、拝む対象がほしくて御塚を奉納したんですよ。御塚の前にむしろを敷いて夜通し拝んだり、行(ぎょう)をしたりする人が、大正から昭和にかけて増えました。そういう人たちのために、稲荷山のお茶屋も一晩中営業していて、夜中でも今より明るく賑やかだったといいます」

 

 御塚に参る人たちの中には、「オダイさん」と呼ばれる霊能者がいた。神の姿が見え、声が聞こえるオダイさんは、お稲荷さんの言葉を信奉者たちに伝える役割を担っていたという。しかし時代の流れとともにオダイさんは減っていき、御塚を参る人たちも少なくなっていった。必然的にお茶屋も営業をやめ、稲荷山の夜は暗くなってしまう。

 

「数は減ってしまったけど、今でも御塚を参る信奉者はいます。彼らは白装束を身にまとい、御塚に和ろうそくを奉納して拝むのです。その光景を夜に見たら……もう分かりますよね?」

 

■研究者も声を潜めて語る伏見稲荷の怪異

妖怪画で知られる鳥山石燕が遺した丑の刻参りの女の図

/『今昔画図続百鬼/丑時参』鳥山石燕

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 幽霊の正体見たり枯れ尾花とは、このことだろう。しかし、「追いかけられた」との証言はどうなのか。

 

「夜中に騒ぎながら山に入ってきた学生を注意するつもりだったのでは。あちらとしては、神聖な心持ちでお参りしているわけですから、それを見て茶化されたり騒がれたりしたら嫌ですよね」

 

 ただし、と田辺さんは声を落として研究者らしからぬ発言を繰り出した。

 

「私の話はあくまで一説にすぎません。稲荷山のどの位置でソレを見たのかによっては、本物の可能性もあります。本物といっても丑の刻参りではないですよ。昔から稲荷山では、山頂で大きな白い狐を見たとか、人間のフリをした何かがいたという証言があるんです……」

 

 白装束を目撃した人たちが見たのは、本当に生きた人間だったのだろうか。もしかしたらこの世にあらざるものや、神様や神様の眷属といった存在が、違う姿で現れていたのかもしれない。

 稲荷山が霊験あらたかなパワースポットなのは間違いないのだから……。