■唯物史観的『生命の起源』
科学は人間のやることに左右されないというのが建前だ。
超能力者は、周りの人に疑われるとスプーンが曲がらないとか透視できないと言い訳をするが、科学者が信じるか信じないかで水が凍ったり凍らなかったりしたら大変である。だから超能力は科学では扱わない。あれはまじないだ。
科学は人間に左右されない。しかし科学者という人間は社会に左右される。
オパーリンが『生命の起源』を発表した当時、1917年のロシア革命で革命政権は帝政ロシアを倒し、共産党による一党独裁が始まっていた。革命政権のイデオロギーは唯物史観(資本主義は革命によって社会主義へ、いずれは共産主義へと至る)であり、無神論だった。真の自由に神は不要なのだ。
オパーリンは自分の唱える化学進化説が、唯物論(神はおらず、世界には物質だけしかない)に合致すると喜んだという。科学者も人の子なのだ。
■私たちはおならとおしっこと雷から生まれた
1953年、ノーベル化学賞受賞者のユーリーと学生のミラーは、本当に化学物質から生命が生まれるのかをたしかめるため、「ユーリ―・ミラーの実験」を行った。
現在の地球の大気は、ほとんどが窒素、酸素、二酸化炭素でできているが、生命が生まれる前の原始の大気は、水素、メタン、アンモニアが中心だと考えられた。
原始の地球では雷がそこら中で鳴り響き、大気が薄いために有毒性の紫外線が容赦なく降り注いでいた。そこでユーリーたちは、原始の大気を模したガスを密閉したガラスのフラスコに詰め、電極を埋め込んで雷代わりに放電を起こし、紫外線を照射した。原始地球をフラスコの中で再現したわけだ。そして1週間。フラスコの底に溜まった液体には、グリシンやアラニンなどのアミノ酸が含まれていた。
オパーリンは正しかった。生物は原始地球で起きた化学反応から生まれたのだ。
水素やメタンと聞くと馴染みはないが、ようはおならの成分だ。アンモニアはおしっこの成分だ。言い換えれば、私たちはおならとおしっこに雷が落ちて生まれたわけだ。
かくして化学進化説は自然発生説を完全否定し、生命は原始地球の化学物質が反応して生まれたのだと信じられてきた。
■深海が私たちの故郷なのか?
しかし最近になって、本当の原始大気はユーリ―・ミラーの実験で使われたものとは大きく違うことがわかってきた。
最新の研究でわかった原始大気の成分は、火山ガスを大量に含み、窒素や二酸化炭素が成分のほとんどで、酸性度が高かった。この大気に雷を落としても、アミノ酸は生まれない。
では地球で生命は生まれなかったのか? 浅い海では無理だが、深海では可能だという説がある。
深海には、400度以上の超高温の海水が噴き出す熱水噴出孔がある。高濃度のミネラルと硫化物の黒煙が海底から吹き上げ、その中には水素、メタン、アンモニアが含まれている。しかも2017年に日本の国立研究開発法人海洋研究開発機構が、熱水噴出孔の周辺には電気が流れていることを発見した。化学物質が電池のように働いているらしいのだ。
ユーリ―・ミラーの実験では、水素、メタン、アンモニアの大気に放電することでアミノ酸を合成した。熱水噴出孔には水素、メタン、アンモニアを含む海水があり、電流が流れている。アミノ酸合成の条件は揃っている。
生命は深海で生まれたと言いたいところだが、せっかく有機物が合成されても、海水によって分解される率が高く、高分子化合物へ進化できない可能性が高いのだそうだ。深海の圧力で二酸化炭素が液体になり、有機物を海水から遮断するという説もあるが、実証されたわけではない。
結局、地球での生命の誕生は無理なのか? 生命の素は、宇宙から降ってきたのか?
(最終回「我らが故郷は宇宙」へ続く/7月16日公開)