■伝説上、世界初のオレオレ詐欺は旧約聖書だが

旧約聖書・創世記に出てくる「ヤコブとエサウ」のエピソードこそ「世界初のオレオレ詐欺」と指摘する声もあるが…… /画像:Shutter Stock

「もしもし、母さん、俺だよ俺──」と、身内を騙り大金をだまし取る『特殊詐欺』いわゆるオレオレ詐欺は、いまだに被害者が後を絶たない。いったいどんなやつがこんな手口を考えたのか気になるところだが、

「人類史上、最初のオレオレ詐欺とはどんな事件?」

 という疑問の答えは、ちょっと調べただけで諸説あり、有名なのは『旧約聖書』に出てくる双子の兄弟ヤコブとエサウのエピソード(注1)。年老いて目が視えなくなった父に「オレだよオレ、兄のエサウだよ」と騙り、重要な血族の権利(≒神からの『祝福』とある)を弟のヤコブがだまし取ってしまうのだ。

注1/ちなみにヤコブの末裔がイスラエル王国を建国、現在のユダヤ民族の祖と言えるそうだ。

 

「創世記」27章で語られるこのエピソード、週刊大衆の記事かってぐらい酷い話のオンパレードなのだが、それはまた別の機会に紹介したいが、いずれにせよ、これはあくまで宗教上の伝説。現実に起こった「世界初のオレオレ詐欺は?」というと、19世紀のロンドンで大騒動となった「ティッチボーン事件」が最有力候補と言えるだろう。

 

■傷心旅行で死んだはずの男爵家の青年が……

大西洋で遭難死したとされたサー・ロジャー・ティッチボーン

/画像:Wikimedia Commons

 事の発端は1853年、日本でいえば江戸時代末期、ペリー来航の頃だ。すらっとした長身の美青年、ティッチボーン準男爵家(注2)の跡継ぎだったロジャー・ティッチボーンは、従兄弟との結婚を一族中から反対され、すべてを捨てて南米へ傷心旅行に向かった。1年ほどチリ~ペルー~アルゼンチンと狩猟しながら南米各地を巡り、1854年4月、ブエノスアイレス港から船でジャマイカへ出発。しかし、彼は目的地にたどり着くことはできなかった──。

注2/男爵に次ぐ称号で正確には貴族ではなく平民。ナイトの称号より一つ上のランク。

 

 1854年4月24日、ロジャーが乗っていた船がブラジル沖で転覆した状態で発見される。乗員、乗客すべて行方不明。別の船が一部の乗員を救助し、オーストラリアに向かったという説もあったが、結局、ロジャー含め、全員が遭難死したとされた。

ロジャーの母、ティッチボーン準男爵夫人

/画像:Wikimedia Commons

 この悲報を受けたロジャーの母、ヘンリエッタ・ティッチボーン準男爵夫人は「ロジャーは生きている」という占い師の言葉を信じ、大西洋に消えた息子の消息を探し続けた。約10年後、ロジャーの父、ティッチボーン準男爵が亡くなり、ロジャーの弟が後を継いだのちも、夫人のロジャー捜索は続き、遂に1863年には「情報提供者に報酬を与える」という懸賞金付きの新聞広告をタイムズ紙をはじめ、当時イギリス植民地だったオーストラリアの地元紙にも定期掲載することになる。

 

 そして、この記事を”ある男”が目にしたことで、世界初のオレオレ詐欺が動き出すことになるのだ──。

 

■オーストラリアの田舎町・ワガワガから来た男

トーマス・カストロが営んでいたオーストラリア東南部、ワガワガの精肉店

/画像:当時の新聞記事より(Wikimedia Commons)

 その男の名前はトーマス・カストロ。オーストラリア南西部の田舎町、ワガワガ(Wagga Wagga/ウォガウォガとも)で破産した精肉店のあるじだった男だ。男はワガワガやシドニーの弁護士や広告代理店を通じて、1965年10月に「私がロジャーだ」と名乗り出た。

 

 男の証言によれば、ブラジル沖で遭難した際、メルボルン行きの船に救助され、その後、カストロと名乗ってオーストラリアを放浪。後に地元女性と結婚し、ワガワガに定住したという。その後、ロジャー(仮)はシドニーに移住し、ティッチボーン家の元使用人らと面会。彼らに自分がロジャーであることを認めさせた。

 

 さらにティッチボーン夫人と何度も「オレオレ、ロジャーだよ」と(?)手紙をやりとりし信頼を得て、1966年9月には彼女のカネでロンドンに向かう(なお家族も同行)。約3カ月の船旅を経てロンドンに到着するも生憎、夫人はパリに在住。感動の対面の舞台はフランスへ。

 

 もちろん、10年以上経っていきなり現れた「自称・ロジャー」に対し、親族はこぞって「偽物、詐欺師」と忠告していたが、「オレオレ手紙」が効いたのか、ティッチボーン夫人はロジャー(仮)が行方知れずだった我が子だと固く確信。こうして、運命の”親子対面”は翌年1月にパリで行われることに──。