■記録の少ない伝説的な獣害事件のひとつ
「史上最悪の獣害は何か?」への答えはなかなか難しい。有名なところでは、以前の記事でも紹介した、436人が1頭のトラに喰い殺された「チャンパーワットの人喰い虎事件」や、同じインド南部でナマケグマが12人を殺害した「マイソールの人喰い熊事件」がある。
真偽不確かな都市伝説級のものならば、19世紀末にカナダで起こった、シロクマの群れ1000頭(!)が次々と村を襲い数百人が犠牲になった「ラブラドール事件」や、つい前回の記事で紹介した太平洋戦争中のビルマで発生したとされる、日本兵1000人がイリエワニの群れに襲われ全滅した「ラムリー島の惨劇」など、数え上げればきりがない。
そして、野生動物の宝庫・アフリカ大陸は、こうした驚くような獣害事件が数多い。なかでも、その犠牲者数やエピソードが飛びぬけて奇天烈な獣害事件が「ヌジョンベの人喰いライオン事件」だ。
ライオンによる獣害事件といえば、映画『ゴースト&ダークネス』にもなった「ツァボの人喰いライオン事件」が有名だが、ヌジョンベのほうはほとんど記録が残っておらず、日本でもあまり知られていない。ただ、奇妙な噂や逸話に関しては断トツに多い、”電脳奇談的”な獣害事件なのだ。
■突如、タンザニアの村を襲ったライオンの群れ!
事件の経緯はこうだ。1932年、インド洋に面した東アフリカの英領タンガニーカ(現在のタンザニア)内陸部のヌジョンベ(Njombe/ンジョンベとも)の村を、突如、ライオンの群れが襲った。
しかも、少なくとも15頭はいたという、この人喰いライオンの群れによる襲撃は、群れのほとんどが退治される1947年まで、15年間にもわたったのだ。犠牲者の総数は記録がまちまちで1000人とも2000人とも言われている。少なくとも年間100人近くが人喰いライオンの餌食になったわけだ。
人喰いライオンの群れは夕方から夜にかけて、犠牲者を家から誘い出したり、集落へ帰る村人を巧みに茂みへと誘い込むなど、狡猾に罠を張って村人たちを次々と餌食にしたという。
奇妙なことに、この群れは狩りのため15~20マイル(約24~32キロメートル)ほどを一夜で移動するにもかかわらず、1947年までの15年間にわたる襲撃のあいだ、襲ったのはヌジョンベの集落の人間だけだったという。まるで誰かの指示で村を狙い打ちしたかのように……。
■怪物の群れを倒したハンターも化け物級だった!?
冒頭に挙げた伝説的な人喰い獣と同様、ヌジョンベの凶悪なライオンの群れも、凄腕の英国人ハンターによって撃ち取られた。その凄腕ハンターとは、英国・ノッティンガム出身の密猟取締官だったジョージ・ギルマン・ラシュビー(George gilman Rushby)。
このラシュビー自身もこの事件に負けないほど奇天烈なエピソードの持ち主。第一次大戦中は英国空軍のパイロットとして活躍し、アフリカ大陸に渡ってからは凄腕の象牙ハンターとして鳴らした(実は密猟もしていたという噂も……)。象牙ハンター時代の友人の証言として、
「やつは象に鼻ではたかれて15フィート(約4.5メートル)近くも空へ吹き飛ばされたんだが、その後、ケロッとした顔で立ち上がり、ライフルでその象にとどめを刺したんだ」
という、とんでもないエピソードを持つ、不死身のハンターだったのだ(ほぼマンガの主人公なみ)。彼の活躍により解決を見た人喰いライオンの襲撃事件だったが、実は、地元ではまったく別の「解決した理由」が語られていたという。
その理由とは「呪術師の機嫌が直ったから」。いったい、どういうことだ???