■「世界初の銀行強盗」はジェシー・ジェイムズじゃなかった!?
人々のお金を預かる銀行を襲う犯罪「銀行強盗」。ネットフリックスで配信され、全世界でヒットしたドラマ「ペーパーハウス」など、映画や小説など様々なエンタメのテーマとして描かれてきた。
エンタメといえば「世界初の銀行強盗」として、ブラッド・ピットなどのスターが演じてきたジェシー・ジェイムズが有名だ。1866年2月13日、アメリカ合衆国・ミズーリ州の銀行をジェシー・ジェイムズが襲ったことから、2月13日は「銀行強盗の日」として記念日(?)になっている。
しかし、実は本当の「世界初の銀行強盗」はジェシー・ジェイムズではなかったのをご存じだろうか? オーストラリア・ニューサウスウェールズ州立図書館がまとめた『シドニー辞典(Dictionary of Sydney)』によれば、1828年9月14日、シドニーのオーストラリア銀行が襲われ1万4000ポンドの紙幣と金貨・銀貨が強奪されたのが、本当の「世界初の銀行強盗」とされる(※1)。
※1「Robbing the Bank: Australia’s First Bank Robbery」by Neil Radford/ Dictionary of Sydney
この「オーストラリア銀行強盗事件」の被害額は、現在の貨幣価値に換算すると約1億5000万円ほど(紙幣のみ。参照はこちら)。しかし、2000年代に入ってからのここ20年ほど、ケタ外れな被害総額が報じられた「世界最大の銀行強盗」といわれる事件が、続発していることをご存知だろうか?
■独裁者一家が約1100億円を強奪!
おそらく被害総額が史上最高といわれているのが、2003年3月、イラク戦争開戦前夜のバクダードで起こった「イラク中央銀行強盗事件」だ。しかも”主犯”は当時のイラクの独裁者、サダム・フセインの息子たち。要は、負けが確定した戦争で逃亡資金を「火事場泥棒」しようとしたわけだ。
悪名高いサダム・フセインの長男ウダイが、「パパがお金下してこいって~」と手書きのメモを銀行側に渡し、約9億2000万ドル(当時の為替レートで約1100億円)を数時間かけてトラックで運びだした。独裁者の息子で「拷問と暴力が大好き!」で知られるウダイに逆らう人間はいなかった。
その後、ウダイとクサイ(フセインの次男)は多国籍軍により、隠れ家を襲撃され蜂の巣に。強奪されたカネの3分の2も回収されたが、残りの3億ドルは今も行方不明だ(なお、回収に当たった米軍兵士が数十万ドルをちょろまかし、30人以上が逮捕されたという)。
■戦争のせいで巨額の銀行強盗が続発?
いわば国の支配者自らが銀行強盗というのはレアケースだが、戦争や紛争状態のエリアでは、こうした巨額の銀行強盗が続発するもの。古くはレバノン内戦真っ只中の1976年、アラファト議長率いるPLO(パレスチナ解放機構)がベイルートの英国中東銀行から5000万ドルを強奪。
近いところでは、IS(イスラム国)が占領中のイラク第二の都市・モスルの中央銀行から、4億5000万ドルを強奪したとの報道もあった(ただし、後にこの情報は大幅に“盛った”話だったと否定され、実際の被害額は数千万ドルだったとされる)。
PLOやISの銀行強盗は、いわば戦争行為/テロ行為の一環。古来、戦争の際にはこうした強奪行為が繰り返されるのは歴史の必然といえば必然だ。とはいえ、襲われる銀行員はたまったものではない。
また、イラクに関していえば、多国籍軍による占領期間中の2007年7月11日にも、やはりバグダードで被害総額史上2位の「ダルエスサラーム投資銀行強盗事件」が発生している。実行犯は同銀行の警備員を含めた武装集団。米紙幣と貴金属合わせ約2億8200万ドル(約335億円)が強奪され、地元警察の汚職警官の手引きで検問を突破し逃げ去ったとされる。
この事件、なぜそんなに大量の米ドル紙幣がイチ銀行に保管されていたのか、武装集団の背後には何があるのかなど、いまだに謎の部分が多い。そして、数ある銀行強盗のなかでも、いまだに謎の多い奇妙な強盗事件が2005年のブラジルで発生していた──。