■自分だけで子どもが生めたイザナギ
天皇家の‟ご先祖様“いわゆる皇祖神は天照大神(以下アマテラス)であり、日本の最高神とされている。生みの親は、連載第1回、第2回に登場したイザナギだ。ただ、誕生時に妻のイザナミは亡くなっているので、夫婦の間で生まれたわけではない。
前回記事でご紹介したように、イザナギは、愛しい妻を連れ戻しに黄泉国へ赴いたのだが、そこで見たのは腐乱状態になったイザナミだった。驚いて地上に戻り、黄泉国への入り口をふさいだイザナギは、
「やなもの見ちゃったし、なんだか汚れちゃったよ」
ということで、川で身体を洗うことにする。いわゆる「禊ぎ(みそぎ)」である。
手に持っていた杖や袋などを投げ捨てるとそれらは神となり、服を脱いで身に着けていたものを捨てても神となる。さらに、身体を洗っても神が生まれ──というふうに、禊ぎのさなかに次々と神様が誕生する。
■イザナギとイザナミにまつわる異説も
「それなら、最初からイザナミは必要なかったんじゃないの?」とも思えるが、そこは神様のこと。人間には思いもよらない、それこそ人智を超えた何かが存在するのだろう。
ただ『日本書紀』の「第四段」には「一書(第十)」という注釈で、イザナギとイザナミが国生みを終えたあとに、アマテラスと弟神二柱を生んだとの記述がある。
そもそも『古事記』は一貫した話の流れで構成されているのだが、『日本書紀』は「一書にいわく」と、本文とは別の説も多く載せている。これは、参考にした資料が膨大だったことの表われだ。
ではなぜ、成立時期がわずか8年しか変わらないにもかかわらず、『古事記』と『日本書紀』には違いが生じているのか? そのことについては、後日改めて説明したい。
■アマテラスとスサノオの兄弟なのに…
「記紀」の違いはさておき、イザナギが最後に左の目を洗ったときに生まれ出たのがアマテラス、右の目を洗うとツクヨミが出現し、鼻からはスサノオが生まれている。この三柱の神が、いわゆる「三貴子」もしくは「三貴神」である。
イザナギはアマテラス・ツクヨミ・スサノオという三柱の子どもたちの誕生をよろこび、アマテラスには高天原(たかまがはら)を治めるように告げ、ツクヨミは夜の世界を任せられる。スサノオが任せられたのは大海原である。
三貴子のなかで、アマテラスの名をご存じない方は少ないだろう。冒頭に記したように、天皇家の祖先であり、神社の筆頭である伊勢神宮の内宮(ないぐう)で祀られていることでも知られている。スサノオも神様のなかでは知名度が高く、祀っている神社も少なくない。ただ、この二柱と比べると、ツクヨミの名は知られていないように思う。
■マニアではなかった夜の神ツクヨミ
ツクヨミは『日本書紀』で月弓尊、月夜見尊などと表記され、アマテラスの命令で食物神の保食神(うけもちのかみ)と対面する。その際、保食神はツクヨミにご馳走をふるまおうと、自らの口から食物を出したので、ツクヨミは「吐き出したものを食べさせるとは、なんたること!」と怒って刺し殺してしまう。
保食神は女神とされているので、女性が咀嚼(そしゃく)したものを好んで食べるマニアさんも世の中にはいるだろう。だがツクヨミには、そんな嗜好はなかったようだ。一方、保食神にしてみれば、よかれと思って行なったこと。よほど、自分に自信があったのかもしれない。
さて、弟神ツクヨミの蛮行に怒ったのが、太陽の化身であるアマテラス。
「そんなことするツクヨミとは、もう二度と会いたくない!」
と憤り、それから太陽(アマテラス)と月(ツクヨミ)は分かれて天にのぼるようになったとする。
■けた違いに少ない祀られた神社
『日本書紀』のほかにも平安時代初期の歴史書『続日本紀』やいくつかの「風土記」にその名は見えるが、『古事記』では初登場以降、ツクヨミ(古事記では月読命)のことはまったく記されていない。
祭神として祀る神社の数を見ても、たとえばスサノオであれば全国に約5800社あるのに、ツクヨミを祀るのは85社。その半分以上は、創建後に追加で合祀されたものである。
また、「月読神社」と銘打っていても、ツクヨミとは別の月神を祀っていると考えられる神社もある。例をあげれば、京都・松尾大社の摂社である月読神社は、5世紀の終わり頃に連載第1回に登場した「造化三神」の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)を祖とする「月神」を祀ったのを創建とする。ツクヨミの親はイザナギなので、あきらかに別の神なのだ。
姉や弟にくらべ、影の薄いツクヨミ。その理由については、
「高貴なアマテラスと乱暴者のスサノオのバランスをとっただけの存在」
「もともとは昼も夜も治めていたアマテラスから分離された」
「人が寝る夜の神だから存在感が薄いのは当たり前」
などの説が唱えられてもいるが、いずれも確定はしていない。
いずれにせよ、最高神アマテラスの弟であるにもかかわらず日の当たらないツクヨミは、かなりかわいそうな神様であることに間違いはなかろう。
『日本書紀(上)全現代語訳』宇治谷治(翻訳)/講談社学術文庫