■『ミシェル・リメンバーズ』そのままの事件が発覚!?
前回紹介したように、問題の書『ミシェル・リメンバーズ(ミシェルは覚えている)』によって、全米に「サタニスト(悪魔崇拝者)が世間に隠れて子どもや女性を儀式の生贄にしている」という不安がまき散らされた。1980年11月に同書が刊行されるや、1万人を超える女性から「私も儀式で性的虐待を受けた」と告発が相次いだのも、【第2回】記事で説明したところだ。
そして刊行から約3年後、同書が引き起こした「サタニック・パニック」(詳細は【第1回】記事を参照)が過熱の一途を辿っていた1983年8月、米・カリフォルニア州の保育園が保護者から告発された。しかも、その捜査の過程で『ミシェル・リメンバーズ』そのままのような、子どもに対する悪魔崇拝的な儀式や虐待の事例が報告されたのだ。
後に「マクマーティン保育園裁判(The McMartin Preschool Trial)」と呼ばれるこの事件は、翌1984年から1990年の6年間にわたり争われた、アメリカ合衆国における児童性的虐待に関する刑事裁判のこと。だが、それ以上に捜査や裁判の過程で語られたおぞましい‟ストーリー”が、
「ほら見ろ! やっぱりサタニストは全米各地にいたんだ!」
「いまも子どもたちはヤツらの儀式の生贄にされているんだ」
と「サタニック・パニック」の蔓延をさらに後押しする結果になったこと、そして、裁判自体がまさに「魔女狩り」「魔女裁判」の様相を呈したことで知られている。いったいそこで何が起こっていたのか? まずは事件の発端から見ていこう──。
■「サタニストが保育園で虐待」の衝撃ニュースが!
1983年、園児の母親、ジュディ・ジョンソンが「息子が便通に苦しみ、肛門が腫れている」として、保育園で性的虐待が行なわれたと、保育園創立者の孫で保育士のレイモンド(レイ)・バッキ―を告発。警察は保護者たちに質問状を送り、検察もNGOに依頼して虐待の有無を調査した。すると驚くべきことに、360人以上の子供が虐待されたという結果が出たのだ。
ここまでも酷い話なのだが、問題はここからだ。子供たちは性的虐待に加えて、
「魔女が飛ぶのを見た」
「熱気球で旅行した」
「秘密の地下トンネルを通った」
「窓のない飛行機に乗った」
「教会で動物を殺し、血を飲まされた」
と悪魔崇拝の儀式をイメージさせる衝撃的な証言を語り出した。これにより「サタニストが保育園を隠れ蓑に、幼児たちを性的虐待をしていた!」と報じられ、アメリカ全土を巻き込む大事件へと発展したのだ。
実はこの事件発覚の前年(1982年)にも、同じカリフォルニア州カーン郡でも、同様の事件が発生したのをはじめ、全米各地の幼稚園や託児所で「子どもたちが性的虐待されている」という噂が流れた。さらにこれが「サタニック・パニック」と結びつき、「事件には悪魔崇拝者が関わっている」と保育士たちへの魔女狩り騒動に繋がっていったのだ。
マクマーティン保育園や経営者のマクマーティン一家は、こうした事件や疑惑の象徴的存在として、多くの非難や好奇の目に晒されることになる。だが、裁判が進むにつれ、意外な事実が判明したのだ──。
■次々と覆される証言。真実はどこに──
子どもたちの衝撃的な「告白」が注目された裁判が始まったのだが、法廷では司法当局の「こいつら(マクマーティン一家)がやったに違いない」という見込み捜査や子どもたちに対する誘導尋問が発覚。物的証拠も何一つ発見されなかった。つまり「告白」自体が‟作り物”だったのだ。
さらに事件の発端となったジュディ・ジョンソンの息子の証言も、「レイに性的虐待されていない、いやされたかも」と二転三転。ジュディ自身にも証言を疑われるような事実が発覚。「360人以上の子どもが性的虐待された」と報告したNGOにも疑いの目が向けられることになった。
また、マクマーティン保育園裁判が行なわれていた1984~1990年のあいだ、先に挙げた全米各地での保育園・託児所での性的虐待や悪魔崇拝についても、ほとんどが事実無根であることが判明。保育士たちへの魔女狩り騒動も、「保育園・託児所での性的虐待ヒステリー(Day-care sex-abuse hysteria)」という、ある種のモラル・パニックだとされた。
なお、研究者によれば、80年代当時アメリカでは「子どもは家庭で母親が育てる」という姿がまだ一般的で、働きに出るようになった母親たちが子どもを保育園に預けることに罪悪感を感じている、という社会的背景がモラル・パニックの遠因になったとされている。
■史上最悪の冤罪事件となったが影響はその後も…
※裁判終結後の1994年、NYTが報じた事件の概要
「マクマーティン保育園裁判」に関していえば、6年間続いた刑事裁判の結果、子どもたちへの性的虐待を示す証拠は存在しないことが明らかになり、すべての容疑について1990年に無罪となった。「史上最悪の児童虐待事件」と言われ、容疑者に対する集団リンチや魔女狩りの様相を呈した同裁判は、結果的に、「史上最悪の冤罪事件」となったのだった。
だが、無実が立証されたのちも悪影響は残り続けた──。
この事件は「サタニスト(悪魔崇拝者)によって何万人もの子供たちが性的・肉体的虐待をうけている」という都市伝説「悪魔的儀式虐待(Satanic Ritual Abuse, 略称: SRA)」の証拠だとされ、【第2回】で紹介した「ミシェル・リメンバーズ」と共に「サタニック・パニック」を引き起こす原因となった。
さらに、このイメージはいまも陰謀論のカギとなる要素として、今もインターネットやSNSで拡散され続けているのだ。そして、このSRAのイメージを悪用して、いわば「悪魔崇拝被害者ビジネス」につなげる輩も後を絶たない。短期シリーズ最終回となる【第4回】では、このビジネスの典型例について、見ていこう。