■遂に日本公開「マッドマックス:フュリオサ」
公開されるや全世界・全米興行収入1位(約92億円)を叩き出した映画「マッドマックス:フュリオサ」が2024年5月31日、遂に日本でも公開された。2015年に公開され米・アカデミー賞6部門をはじめ世界中の映画賞を席巻した前作「マッドマックス 怒りのデスロード」に続き、監督はもちろん“マッドマックス・サーガ”の生みの親、ジョージ・ミラーだ。
傑作「マッドマックス 怒りのデスロード」の前日譚を描く今作では、前作で完全にサーガの主役だったマックスを喰ってしまったフュリオサ(前作はシャーリーズ・セロン、今作はアニャ=テイラー・ジョイ)が主人公。彼女をはじめ、宿敵のディメンタス将軍、前作に引き続き登場のイモータン・ジョーなどなど、世界崩壊後のオーストラリアの荒野を暴れまくる”キレッキレ”のキャラクターたちが魅力。
ただ、この”サーガ”の第一作映画「マッドマックス」が公開された1979年当時から、
「こ、こんなオーストラリア、思ってたんと違う……」
という声もあったのは確か。かわいいコアラとカンガルーの赤ちゃんの国のはずが、北斗の拳(強い影響を受けたのはよく知られた話)も真っ青な世紀末な世界だなんてと、初めて「マッドマックス」に出会った時に驚いた方も少なくないはずだ。
しかし、実はフュリオサやマックス、イモータン・ジョーやウォー・ボーイズの「ご先祖さま」と言えるようなキレッキレな無法者たちが、かつてオーストラリアの大地に実在したのをご存知だろうか?
■オーストラリアに実在した「ウォー・ボーイズ」?
その名は「ブッシュレンジャー」。名前のとおり「ブッシュ(茂み、森林地帯)」に潜み、武装強盗を繰り返した無法者たちだ。最盛期とされる1850年代から1860年代にかけて、2000人以上がオーストラリア各地で暴れまわった彼らがなぜ誕生したのか? 少しここでその前史を説明しておこう。
よく「オーストラリアは流刑の島だった」と言われるが、事実、1775年からのアメリカ独立戦争で流刑先を失った大英帝国が目を付けたのが同じ頃、領有を宣言してた後のオーストラリアだった。その後、続々と囚人船がこの巨大な島に上陸。1868年までに16万~17万人の囚人が送られたという。
刑務所あるいは労働者として下げ渡された地主のもとで囚人を待ち受けていたのは、過酷な労働(ほとんどが無賃)と非人間的な虐待な日々だった。そのため、少なくない数の囚人が脱走を図ったが、その多くは餓死や溺死など悲惨な末路を辿った。だが、脱走囚のなかでも運に恵まれ、サバイバル能力も高かった者がブッシュに潜伏、最初のブッシュレンジャー(当初は「ボルダー」と呼ばれた)となっていったのだ(注1)。
注1/「ブッシュレンジャー」という呼び名は、1805年のシドニー・ガゼット紙が初出とされる。
■「反体制のヒーロー」となったブッシュレンジャー
そもそも流刑囚と言っても、多くがアイルランドなどイギリス政府と対立する地域から送られた犯罪者や政治活動家などが多かったので、必然的にブッシュレンジャーたちも単なる強盗犯というより、反体制の気質が強かった。
たとえば、1815年には「ブッシュ(森)の副知事」という異名を取ったマイケル・ハウに率いられた100人以上のブッシュレンジャーが反乱を起こし、1827年にはシドニー近郊で180名ほどのブッシュレンジャーが蜂起した「バサースト反乱」も発生し軍隊で鎮圧するはめに。もはやただの強盗団というより国家への反逆者や、シタデルを支配するイモータン・ジョーのような存在だったわけだ。これだけ国中で暴れまわり、植民地政府からは、
「卑劣、残忍、血に飢えた獣性」「死んだほうがましな連中」
と蛇蝎(だかつ)の如く嫌われたブッシュレンジャーだが、イギリス政府からの重税や圧政に苦しむ大衆からは「反体制のヒーロー」や「義賊」として人気があったという。そもそも、刑期を務めあげたのち入植者として定着した元囚人の住民が少なくなかった土地柄。シンパシーを抱く人々も多かったのだろう。
また、17世紀末から18世紀半ばというブッシュレンジャーが大暴れした時代は、日本でいえば江戸時代に石川五右衛門やねずみ小僧、清水次郎長、西部開拓時代のアメリカならビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズ・ギャングなど、お上に歯向かうアウトローたちが人気を博した頃。 オーストラリアの民衆にとって、ブッシュレンジャーはそんな存在として愛されたのだろう。
そして、そんなブッシュレンジャーの中でも、特に人気で「もっとも有名なオーストラリア人」という二つ名もつくほど愛されたのが「ネッド・ケリー」だ。