「睡眠の謎」に迫る今回のシリーズ、前編では「睡眠学習のウソとホント」、 中編では「脳が情報を整理するため睡眠が必要は都市伝説」という切り口だったが、この後編では「本当にヤバい睡眠不足」についてご紹介していこう。

 

 日本人は睡眠不足だ。2021年度調査で、日本人の平均睡眠時間は7時間22分だった。これはOECDD加盟33カ国の中で断トツに短い。(※1) 一番長い国は南アフリカで9時間13分。次いで中国、エストニア と続き、8時間を切るのはメキシコ、韓国、日本のみだ。

※1「世界で最も寝ていないのは日本の女性? 睡眠時間のデータが示す実情」(朝日新聞 2023年3月4日)

 

 最近でこそ「睡眠負債」なんて言葉も出てきたが、まだまだ寝ないで働くことが偉いと思っている日本人も多いはず。だが、そもそも寝ないと人間はどうなる?

 

■「眠れないネズミ」の末路はどうなった?

断眠ラット

幸せそうに眠るラット。彼らから眠りを奪うと数週間で死んでしまう

画像:東京大学理学部ニュース

 眠らないと生き物はどうなるのか? 1983年に東京大学でラット(実験用の比較的大きなネズミ)を使って、動物を眠らせないとどうなるかを調べる実験が行なわれた。(※2) 
※2「眠りを奪われたネズミはなぜ死んだ?」(理学の謎 第19回 理学部ニュース2023年1月号 東京大学大学院理学系研究科・理学部)

 

 眠りそうになるとラットをつついて起こし、睡眠時間が通常の10パーセント以下の“断眠ラット”を作ったのだ。眠れないラットたちはかわいそうに2~3週間で死んでしまった。

 

 問題はここから。睡眠時間を奪われ死んだラットは、食べる量は増えたが体重は減少、体温も低下していた。ということは、眠らずにずっと起きているせいで体が使うエネルギー量が増え、食べても食べてもエネルギー補給が追い付かず、いわば“ガス欠”で断眠ラットは死んでしまったのだろうか?

 

■体温を上げても次々死ぬラット

温泉猿

眠らないと体温が下がるなら写真の「温泉サル」みたいに上げてやれば死なない? いやそれでもラットは死んでしまった

画像:PhotoAC

 この「エネルギーの消費」というものには甲状腺が関わっている。起きている時は甲状腺が活発に働き、体温は上がる。逆に、眠ると甲状腺の活動は低下し、体温も下がる。ということは甲状腺の機能を眠っている状態と同じレベルまで下げてやれば、体温が下がってラットの活動エネルギーが減り、断眠ラットも長生きできるだろうか?

 

 そこで甲状腺の機能を下げてみたところ、体温はさらに下がり、エネルギー消費は減った。長生きするかと思われたが、甲状腺を操作しない断眠ラットと同じ期間で死んでしまった。

 

 では反対に甲状腺の機能を上げたらどうか? 体温を無理やり上げて元気にしてみるわけだ。甲状腺を活発に動かすと体温の低下は止まったが、今度はもっと早く死んでしまった。

 

■断眠ラットの意外な「死の原因」とは?

断眠ラットの死

眠らないと免疫力が低下、断眠ラットは全身の臓器が細菌に感染していた。

(写真はイメージ/生きてます!) 画像:Shutterstock

 体温低下やエネルギー消費の増加と断眠ラットが死んだ理由には関係がないらしい。では、なぜ死んでしまったのか?

 

 死んだ断眠ラットの内臓を調べたら、さまざまな臓器が細菌に感染していた。どうやら眠らないと免疫力が低下するらしいのだ。ということは、細菌感染が原因で断眠ラットは死んでしまったのだろうか? そこで細菌をやっつけるべく、ラットに抗生物質を与えてみたが、やはり死んでしまった。

 

 中国・北京の国立生物科学研究所では、マウス(よく実験で使う小型の白ネズミ)をくるぶしまで水に漬け、眠ろうとすると鼻が水につくために呼吸困難で目が覚めるという、残酷な断眠実験を行なった。(※3)
※3「Prolonged sleep deprivation induces a cytokine-storm-like syndrome in mammals」(Cell. 2023 Dec 7;186(25):5500-5516)

 

「絶対に眠らないぞ!」と、どれだけがんばっても、動物も人間も「マイクロスリープ」という数秒から数分のごく短い睡眠をとっている。マイクロスリープは脳が勝手に寝てしまうので止めようがないのだが、北京の国立生物科学研究所の実験は、このマイクロスリープさえ許さない恐ろしい実験なのだ。

 

■断眠でコロナと同じ症状になり死ぬ?

サイトカインストーム

コロナ禍では多くの人はウイルスによるサイトカインストーム=免疫暴走を起こし、重症化した。断眠では同じサイトカインストームが起きるらしい

画像;Gustavo Basso, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 この残酷な実験で完全に眠りを奪われたマウスはどうなったのか?

 

 読者の皆さんの予想通り、わずか4日で8割が死亡した。そして死んだマウスの脳内を解剖したところ、プロスタグランジンDという物質が増加していた。この物質はアレルギー反応を起こす物質で、大量に作られるとコロナの時に有名になった「サイトカインストーム」を引き起こす。

 

 サイトカインストームとは、簡単にいうと炎症性物質が大量に作られ、そのせいで全身で炎症反応が起こり、血液が凝固するなどして死亡するものだ。眠らせなかったマウスは、まるでコロナにかかったかのようにサイトカインストームで死んでしまったのだ。

 

 眠らないと免疫細胞が暴走し、コロナの時のようにさまざまな病気を併発して死んでしまうのだ。これが眠らないと死んでしまう理由だ。眠らないと死ぬ──おそらくこれはすべての生物に当てはまる。眠ることは生きることと表裏一体であり、眠らずに生きることはできない。眠らないと生物は死ぬのだ。

 

 では、人間を眠らせないとどうなるのか? マウスのように眠らせなかったら死ぬのだろうか?