■町家の住宅街に輝く金色の鳥居
京都・大阪・神戸の、いわゆる「関西三都」の中で、京都人の性格は穏やかで上品。あまりおカネに執着がないようなイメージがある。しかし京都には、金運に大きな御利益があるという神社がある。その名もズバリ、御金神社(みかねじんじゃ)だ。
御金神社の最寄り駅は、地下鉄烏丸御池駅か二条城前駅。どちらからも徒歩5分程度で到着するが、JRや近鉄の京都駅や阪急烏丸駅、もしくは京阪三条駅といった主要駅からは、地下鉄東西線と烏丸線が交差する烏丸御池駅が便利だ。
烏丸御池駅周辺は観光地という印象ではなく、ビルの立ち並ぶビジネス街といった趣である。しかし、そこはやはり京都。一歩、町中に足を踏み入れれば、町家などがならぶ古都らしい雰囲気を醸し出している。
そんな落ち着いた町中に鎮座するのが御金神社で、境内もさほど広くはない。しかし、曜日や季節、時間にもよるものの、大勢の参拝客が押し寄せていて、警備員がくり出すこともある。
神社の正面の鳥居は金色で、石柱に彫られた神社の名前も黄金色というゴージャスさ。社殿の瓦にも「金」の文字がならび、それが若者世代には「映える!」と人気になっている。そして、年末年始や大型連休のときは、参拝者で200メートルを超す大行列になるという。
ご神木であるイチョウをモチーフにした絵馬にも、記されている文字は「金運開運」。ただ、神社の由来を知ると、必ずしも金運アップに特化した神社ではないらしい。
■もともとは金銭ではなく金属の神様
そもそも御金神社は、個人が自宅内に金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀った「邸内社」をはじまりとし、屋敷内にありながらも参拝を願う人が絶えなかった。そのため、明治十六(1883)年に、現在地に移転し社殿が建立された。
金山毘古命は鉱山や金属に関係する神様だ。御金神社隣通りには平安時代より鋳物職人が集まっていた「釜座通(かまんざどおり)」があり、境内近くには「両替町通」がある。かつて両替町通一帯には「金座」と「銀座」があり、江戸幕府の貨幣鋳造を担い、金銀細工業者が集められていた。
そのような人々が金山毘古命を崇敬し、社殿が屋敷外に建立された当初も、造船や鉄鋼、建築、機械などの金属や採石、鉱業、宝石といった石材にまつわる参拝者が多かったという。つまり、御金神社の「金」は「おカネ」ではなく、もともとは「金属」を意味したのだ。
やがて、「御金」は金属だけでなく金銭の意味も持つようになる。現在は投資や資産運用、貯蓄にギャンブルまで、広い範囲でおカネに関する願いごとを受け付けているという。お礼参りの絵馬には「(宝くじで)10億円当たりました! ありがとうございます」というものも掲げられていたという。
■光源氏のモデルの邸宅跡
また御金神社の近くには、NHK大河ドラマ「光る君へ」に関係する史跡も残されている。一つは高松神明神社(たかまつしんめいじんじゃ)だ。
烏丸御池駅から南西方向へ徒歩約5分。住宅街のなかに鎮座し、境内も広くなく、街に溶け込んだお社という印象を受ける。しかし、この神社は、光源氏のモデルともいわれる人物の邸宅跡なのだ。
延喜二十(920)年、醍醐天皇の第十皇子・源高明(みなもとのたかあきら)は伊勢神宮から天照大神を勘請し、自宅である「高松殿」の邸内に祀った。これが高松神明神社のはじまりで、この高明こそが『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとの説がある。
高明は左大臣にまで出世するが藤原氏と対立し、安和二(969)年の「安和の変(あんなのへん)」で失脚。この境遇が光源氏に似通っているとされるのである。なお、高明の娘は道長の妻である明子。明子は父の屋敷で暮らしたため、高松殿と呼ばれている。
■一条天皇が暮らした仮御所跡
高松神明神社から北方向に歩いて御池通を越え、小さなカフェや飲食店がポツン、ポツンと点在する町中に、注意しないと見過ごしてしまいそうな石碑が建てられている。ここが大河ドラマ「光る君へ」にまつわるもう一つの史跡、藤原氏初の摂政、良房が建てたとされる屋敷、東三条院の跡地だ。
この邸宅は東三条殿、東三条第とも呼ばれ、摂関家が代々相続。一条天皇と三条天皇も、この屋敷で産まれている。道長の父兼家の死後は長男の道隆が相続し、道隆が没すると道長が所有。道長は別荘として活用し、寛弘二(1005)年の内裏火災の際、一条天皇の里内裏(仮御所)として機能していた。
なお、御金神社から東三条院跡までは、わずか2分ほどで到着する。
さらに、御金神社から西に歩き、堀川通に面するのが二条城。正式には「元離宮二条城」といい、二の丸御殿は国宝に指定され、城郭全体がユネスコの世界遺産に登録されている。京都どころか、日本屈指の観光名所なので、訪れる人の数も多い。
そんな賑わいから少し外れると人影もまばらな古都の雰囲気が漂い、それでも金運上昇を求める人たちが一カ所に集中している。さらに近くには、1000年前の歴史をいまに伝える史跡が静かに残る。
このギャップが、京都散策のおもしろさといえよう。