■残された謎のメッセージ
ジョン・ホワイトが唯一の手がかりとして見つけたのが、砦の柱に刻まれた「CROATOAN(クロアトアン)」という文字だけだった。
これは、ロアノーク島から50マイル(約80キロ)南にあるクロアトアン島(現在のハッテラス島)と、そこに住む先住民クロアトアン族を指していると考えられているが、消えた入植者たちがどこにいってしまったのかは、まったくわからなかった
ホワイトは3年前、ロアノーク島を離れる時、島に残る入植者たちに、
「何か緊急事態が起こった時には、植民地の木に目印として『マルタ十字』を刻め」
と指示を出していた。しかし、どこにもマルタ十字は見つからず、発見できたのは砦の近くの木に刻まれた「CRO(クロ)」という言葉だけだった。
謎のメッセージだけを残し、忽然と姿を消した100人を超す入植者たち──これが「失われた植民地」と呼ばれているゆえんだ。数百年後に世界をリードすることになる、アメリカ合衆国の歴史の最初の1ページは「集団大量失踪事件」から始まったのだ。
3歳になるやならずの幼児も含めた100人を超す入植者たちがいったいどこへ消えてしまったのか? これまで研究者たちは様々な可能性を指摘してきた。
「先住民族とのトラブルが原因で壊滅した」
「船で脱出を図り、遭難した」
「対立するスペイン人の植民者に破壊された」
「先住民と同化した。その証拠に子孫にヨーロッパ人の身体的特徴が残っている」
などなど、さまざまな仮説が立てられ、なかには「人肉食で食い尽くされた」という突飛な説を唱える研究者もいたが、決定的な証拠は見つからずに数百年のあいだ、ミステリーのままだった。
■2012年、新たな手がかりが発見!
しかし、2012年になって、画家でもあったジョン・ホワイトが水彩で描いたノースカロライナの地図に”小さな紙片”が貼られていることに、ある研究者が気づいた。
紙片の下には砦を示すマークが描かれていた。そのマークが指し示す場所は、ロアノーク植民地から西へ50マイルの北米大陸本土、アルベマール湾と呼ばれる複雑に入り組んだ入江の奥にあった。
2020年にはその地点にある断崖の上でイギリス製、ドイツ製、フランス製、スペイン製の陶器が大量に発見された。これは「消えたロアノーク植民地」のメンバーがこの場所に移り住んでいたことを示す証拠だ、と調査チームは主張する。
その一方、1998年にはクロアトアン島で16世紀の金製印章指輪、銃の火打石、16世紀の銅貨などが見つかっている。遺物が見つかった場所はクロアトアン族の中核となる集落があった場所で、ロアノーク植民地の人々は西や南へ分散して移住したのでは? とも言われている。
また、現地ではロアノーク植民地のメンバーが先住民の諸部族に同化したかどうかをDNA鑑定するプロジェクトが実施され、鑑定が始まっている。実際、クロアトアン族と同化したという説以外にも、ロアノーク島からはるか300キロ以上内陸にある現・ノースカロライナ州パーソン郡の先住民について、
ヨーロッパ人が初めて接触した時には、すでに英語を話し、キリスト教を信仰する部族がいた。
しかも、彼らはヨーロッパ人の身体的特徴も色濃く残していた。
という伝説が語り継がれていたという。
アメリカ開拓史の闇に消えたロアノーク植民地と115人の入植者たち。最新技術によってその謎が解明される日は近いかもしれない。