令和の世は「呪術ブーム」のようだが、その発端は令和から約1300年以上前に現れた一人の男にあった。その名は「役小角」。日本最初の呪術師とも呼ばれ、山岳宗教である修験道の開祖として崇められる。傑出したスーパーパワーは鬼神を従え、海を渡るという。謎めいた生涯と、その超人的な能力、呪力の源泉とは──?
※本記事は、島崎 晋:著『呪術の世界史 -神秘の古代から驚愕の現代-』(ワニブックス)より一部を抜粋編集したものです。
■日本最初の呪術師「役小角」とは?
日本の歴史書には卑弥呼(ひみこ)の名が登場しない。そのため文献上で確認できる最古の呪術師は役小角(えんのおづの)となる。
役小角は7世紀後半の人。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)とも呼ばれる。葛城山(かつらぎさん)に住み、鬼神を使役して水を汲ませ、薪を集めさせた。鬼神が従順なのは、命令に従わねば呪術によって縛られ、動きを封じられてしまうからだという。
役は珍しい姓だが、ウェブサイト「名字由来net」によれば、全国順位2万4678位の姓で、現在も全国でおよそ150人数えられる。また1944年に刊行された『姓氏家系大辞典』によれば、役氏は賀茂役君氏(かものえのきみのうじ)の略で、大和国葛城を発祥の地とする賀茂氏の一族である。
京都の賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)と賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)を創建したのは別系統の賀茂氏のようだが、のちに朝廷の陰陽寮で陰陽師を務め、安倍晴明(あべのせいめい)の師となる賀茂忠行(かものただゆき)は葛城の賀茂氏の後裔なので、役小角と陰陽師の賀茂家は同族とみてよい。
■「孔雀明王の呪法」で最強のパワーを
役小角は修験道の開祖ともされるが、平安時代初期に成立した『日本霊異記(にほんりょういき)』には、生まれながらに博学で、岩窟に籠もって修行を積んだ結果、孔雀明王(くじゃくみょうおう)の呪術を修得し、鬼神を使役できるようになったとある。
ここに出てくる孔雀明王とは、鳥の孔雀が害虫や毒蛇を食べ、人間をその害から守ってくれることから、貪(むさぼり)、怒り、無知の「三毒」除去の功徳(くどく)、雨を予知する能力があるというので雨乞いの功徳もあると考えられた。
穏やかな慈悲深い表情を浮かべ、優雅な姿で孔雀の上に乗った姿で描かれるが、あらゆる毒を喰らい尽くす猛々(たけだけ)しい一面を有する。それだけの呪力を持つなら、鬼神を使役するくらいお手のものと考えられたのだろう
のちに安倍晴明が使役した式神は普通の人の目には見えない存在だったが、役小角の鬼神は誰の目にも見えたようで、前鬼と後鬼という夫婦の鬼神とする伝承もある。それはともかく、役小角が使役した鬼神は、仏教の眷属(けんぞく)神である護法の類と考えられる。
人間の童子や鳥、動物の姿で語られることが多いため護法童子(ごほうどうじ)とも呼ばれ、怪力や俊足、飛行能力に加え、修行者や山伏の身の回りの世話もすれば、他人に憑依することもあるなど、その属性は多岐にわたった。
■伊豆へ流刑後、富士山で修行を続け…
歴史書の『続日本紀(しょくにほんぎ)』によれば、役小角は699年に伊豆島へ流され、これを最後として歴史書から姿を消すが、『日本霊異記』は夜になると駿河国の富士山に登って修行を重ね、ついには空を飛べるようになり、新羅(しらぎ)や唐とも往来したとも記す。
ここまでいくと完全に人間の域を超えているが、修験道や山岳信仰の開祖であれば、そのくらいでないとありがたみが薄かったのかもしれない。
常人から見れば、険しい山中で修行を積む彼らは、それだけでも人間の域を超え、不思議な力を有していてもおかしくない存在。さまざまな尾鰭(おひれ)が付加されるのも無理はなかった。
役小角と陰陽師の賀茂家が同族であるなら、賀茂家とその弟子筋の安倍家が陰陽寮の要職を独占できたのもわかる気がする。
──最終回・了 世界の衝撃呪術事件簿【1】【2】【3】【4】
島崎晋・著 ワニブックス・刊/定価:本体1500円+税
島崎 晋 (しまざき すすむ)
1963年、東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。専攻は東洋史学。在学中、 中国山西省の山西大学に留学。卒業後、 旅行代理店勤務を経て、出版社で歴史雑誌の編集に携わる。現在はフリーライターとして歴史・神話関連等の分野で活躍中。 最近の著書に『図解眠れなくなるほど面白い戦国武将の話』(日本文芸社)、『劉備玄徳の素顔』 (MdN 新書)、『どの 「哲学」と「宗教」が役に立つか』 (辰巳出版)、『鎌倉殿の呪術 鎌倉殿と呪術 - 怨霊と怪異の幕府成立史』(ワニブックス)などがある。