妖怪や化け物が「本当の名前」を当てられ退治されたり、呪術に悪用されぬよう「仮名」で呼び合ったりと、古今東西、「名前」は呪術の根幹とされる。そして、室町時代末期から戦国時代にかけて、この「名前に基づく呪術」で戦国時代一の悪人とも恐れられた戦国武将まで屈服させたのが奈良・興福寺の呪法だった。いったい、どんな呪法で、どういう経緯で行なわれたのか、『呪術の世界史』より記事を見ていこう。

 

本記事は、島崎 :『呪術の世界史 -神秘の古代から驚愕の現代-(ワニブックス)より一部を抜粋編集したものです。  

  

 室町時代にデスノートが実在! 

 

興福寺
創建は7世紀、天智天皇の時代まで遡る奈良の古刹・興福寺。 画像:Maarten Heerlien from Voorschoten, The Netherlands, CC BY 2.0 , via Wikimedia Commons

 室町幕府の8代将軍足利義政は銀閣寺(慈照寺)を創建した人、東山文化と称された文化の保護者として知られるが、将軍としての功績は皆無に等しく、応仁・文明の乱の勃発を防ぐこともできなければ、早期の終結に向け何ら積極的な働きをすることもなかった。

 

〈中略〉

 

 将軍義政の時代は戦国時代の前夜にあたるが、すでに世の乱れは始まっており、有力な寺社は大名並みか、大名以上の戦力と財力を有していた。比叡山延暦寺がそうなら、奈良の興福寺も右に同じである。 

 

 興福寺は大和国最大の荘園領主でもあったが、土豪のなかには年貢を横領して一銭も納めない者もいた。箸尾為国(はしおためくに)という人物はまさしくその一人だった。 

 

 興福寺の側もこの手の反抗には慣れており、話し合いでの解決が無理と判断された時点で、最終手段の行使をためらわなかった。罪状と名前、日付を記した紙片を仏前に捧げ、その身に災厄が降りかかるようひたすら祈るもので、興福寺ではこれを「名を籠(こ)める」と称した。時に1486年3月のことだった。 

 

 

■1万人を超す僧侶が呪詛を唱える恐怖!

 

 興福寺が全山を挙げて一人の人物を呪詛する。来る日も来る日も箸尾為国の名と罪状を唱えた。僧兵をも含めれば、興福寺にいる僧侶の数は1万人を超えており、それがみな一人の人物を呪詛する光景は、見る者を戦慄(せんりつ)させたに違いなく、話を伝え聞いた人びとも多かれ少なかれ怖気(おぞけ)を振るったはずである。 

 

 同年4月、箸尾自身はピンピンしていたが、箸尾が支配する村で悪疫が流行。あれよあれよと言う間に130人もの死者が出た。

 

 これはたまたま重なっただけ、偶然と言ってしまえばそれまでだが、時期と場所がここまでピンポイントに重なる確率は天文学的数字になるのではないか。室町時代の人びとにとっては、呪詛の効果と受け取るのが自然であったはずである。

 

 

■戦国の梟雄もビビらせた興福寺の呪法

朝倉孝景

北条早雲とならび「下剋上のはしり」と言われた朝倉孝景。当代一の大悪人とまで呼ばれた戦国の梟雄だが信仰心には勝てなかった?

画像:Public Domain(心月寺)

 興福寺が最終手段に出たのはこれが最初ではなく、1464年に前例があった。しかも相手は越前守護職の朝倉孝景(あさくらたかかげ)。越前朝倉氏の7代目当主にして、戦国大名の朝倉氏としては初代に数えられる大物である。 

 

 事の発端は、孝景が越前にある興福寺所有の荘園を焼き討ちにした上、農民3人を拘禁し続けたことにあった。興福寺は室町幕府に訴え出るが、いっこうに話が進展しない。これに興福寺が痺れを切らし、「名を籠める」を発動したのだった。 

 

 孝景は室町幕府に対して強い影響力を持つ人物だったが、相手が神仏では対抗手段を持たず、比較的穏健な安位寺(あんいじ)の経覚(きょうかく)に泣きつき、呪詛の停止を嘆願した。経覚は藤原摂関家の出身で、興福寺大乗院の門主にして興福寺の別当を四度も務めたこともある高僧である。

 

 母方の縁で、のちに本願寺8世となる蓮如を弟子に迎えるなど、宗派の垣根を超えた懐の深さに加え、漢気(おとこぎ)もある性格のため、快く仲介の労を引き受けてくれた。 

 

 経覚によりお膳立てが整えられるのを待ち、同年8月10日、孝景は経覚の実家である京都の二条家の屋敷を訪れ、居並ぶ興福寺の僧侶たちに対し、

 

「今後、興福寺をなおざりにすることはせず、忠節を尽くします」

 

 と記された起請文を提出。その場で署判を据え、口頭でこれまでの不届きの一切を謝罪するなど、その言動は全面降伏をした敗軍の将そのものだった。興福寺の「名を籠める」がどれほど恐れられていたかを示す、非常にわかりやすい実例だった。 

 

──第4回・了。続く第5回は「日本で最初の呪術師・役小角」(9月30日18時公開)

 

『呪術の世界史 神秘の古代から驚愕の現代』
島崎晋・著 ワニブックス・刊/定価:本体1500円+税


島崎 晋 (しまざき すすむ)
1963年、東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。専攻は東洋史学。在学中、 中国山西省の山西大学に留学。卒業後、 旅行代理店勤務を経て、出版社で歴史雑誌の編集に携わる。現在はフリーライターとして歴史・神話関連等の分野で活躍中。 最近の著書に『図解眠れなくなるほど面白い戦国武将の話』(日本文芸社)、『劉備玄徳の素顔』 (MdN 新書)、『どの 「哲学」と「宗教」が役に立つか』 (辰巳出版)、『鎌倉殿の呪術 鎌倉殿と呪術 - 怨霊と怪異の幕府成立史』(ワニブックス)などがある。

 

呪術の世界史 神秘の古代から驚異の現代
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怪異はいつも歴史を変える! 世界を動かした呪術にまつわる事件や伝説の呪術師、背後に流れる信仰について、古代文明・日本・中国・西洋・アジア・近現代など時代とエリアに分けてわかりやすく解説。古今東西の呪術の歴史を学ぶ初めの一歩として、うってつけの一冊。