■「カガ」の名が意味するものは…
まずはその名前に隠された謎について。天香香背男(アメノカガセオ)の「カガ(古くは「カカ」)」は星が光り輝く様子を表したものとされているが、この「カガ(カカ)」には、まったく別の意味もある。蛇、特に大蛇を表す古語「カガ」(「カカ」あるいは「ハハ」とも)だ。
たとえば、スサノオがヤマタノオロチ退治に使った神剣は「天羽々斬剣(アメノハハキリ)」と呼ばれ、現代でもヤマカガシなど蛇の名前に残っている。面白いのは、年を経た大蛇つまり「カガ」は天に昇るという伝承が多いのだが、前述のとおりカガセオにも「ニョキニョキと天に向かって伸びる」という、大蛇を思わせる伝説が語られているところだ。
とはいえ、「カガ=大蛇だからカガセオは蛇の神!」では結論が乱暴すぎる。そこで、状況証拠になるような伝承なども見ていこう。
■敗れた蛇神の伝説が周辺に!?
平安時代に成立した『常陸国風土記』には、大甕神社から南に下ってすぐの那珂(なか)郡に伝わる「努賀毗古(ヌカビコ)・努賀毗咩(ヌカヒメ)」という兄妹の不思議な伝承が記されている。
いわゆる「蛇婿譚」で、妹ヌカヒメが夜ごと通ってきた蛇神(?)の子を産む。その子供(蛇)はあれよあれよと大きくなり、叔父のヌカビコを殺して天に昇ろうとするが、ヌカヒメがとっさに投げた盆(ひらか。※祭祀用の器か?)が当たり失敗、近くの山に封じられることに。
しかも、その子孫は子蛇が入れられていた「甕(みか)」を代々祀っていたという。つまり、昇天に失敗した蛇神の末裔が蛇信仰を伝えていたというのだ。「甕と蛇」という組み合わせも、大「甕」神社に繋がりそうで興味深い伝説だ。
さらに南に下った行方(なめかた)郡の項にも、「敗れた蛇神」の伝説が記されている。しかも、こちらは角が生えた異形の存在だという。
■「角ある蛇」はなんの象徴か?
その名は「夜刀(やと)の神」。地元の人々に「一目見ただけで祟られ一族全滅」と恐れられた蛇神で(なんで見ただけで全滅するのに姿がわかるのかはツッコまないことw)、しかも、この地で群れを成していたという。 しかし、たびたびヤマト王権から派遣された開拓部隊によって退治され、この地から追い払われてしまった。
この伝説、ヤト(谷戸)という湿地を表す言葉から、原野を開拓した歴史を背景にしたものとされている。ただその一方で、『常陸国風土記』には国栖(くず)、土蜘蛛(つちぐも)などヤマト王権に抵抗する原住民、いわゆる「まつろわぬ民」が滅ぼさる姿が描かれていることから、夜刀の神もこうしたまつろわぬ民の象徴だったのかもしれない。
ヤマト王権のタケミカヅチとフツヌシに最後まで抵抗したカガセオと、角ある蛇に象徴されるまつろわぬ民、この2つが無関係というのは、かえって不自然な気がするのだが、どうだろうか? そう考えるとカガセオには星辰信仰と蛇信仰という2つの顔の可能性が見えてくるのだ。
■大甕神社に蛇信仰の痕跡が!?
さらに、大甕神社そのものにも、なんと蛇信仰の痕跡を見つけてしまった。それは取材の際に偶然目にしたものだが、甕星香々背男(カガセオ)が封じられた宿魂石への登り口に、ひっそりと祀られた「白蛇塚」だ。
実は取材当日は、「ほ~、星の神様なのに白蛇も祀っているんだぁ」と、のんきに眺めていただけだったのだが、後々カガセオと蛇信仰のことを調べていくと、意味深なものに思えてきた。
ただ、惜しいことに「カガセオ=蛇信仰」に繋がる動かぬ証拠とはいかなかった。参拝と取材の後、社務所で白蛇塚のことを伺ったのだが、「何代か前、たぶん明治頃に宮司の奥さんが境内で大きな白蛇に出会い、その後、立て続けに佳い事が続いた」そうで、白蛇に感謝してこの塚を建立し、いまも祀っているのだという。つまり、そこまで歴史は古くはないとのこと。
とはいえ、写真を見てもわかるようにいまも白い玉石が配された白蛇塚は小さいながらも清浄な雰囲気に溢れている。惜しくも古代から続く祭祀跡とはいかなかったが、蛇の神(かもしれない)甕星香々背男ともども、巳年の今年に参拝すべき、開運スポットなのは間違いないだろう。
『常陸国風土記 全訳注』秋本吉徳/講談社学術文庫
『日本書紀(上)』井上光貞監訳・川副武胤、佐伯有清訳/中公文庫
『蛇 日本の蛇信仰』吉野裕子著/講談社学術文庫
『蛇の神 蛇信仰とその源泉』小島瓔禮編著/角川ソフィア文庫