暴れん坊将軍はホントに名君?

 

徳川吉宗
教科書でお馴染みのこの姿。耳がデカいところは家康の血筋を感じさせる。 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 2025年1月4日に、17年ぶりに復活した時代劇ドラマが放送された。テレビ朝日ドラマプレミアムの『新・暴れん坊将軍』である。

 

 これまでのシリーズ同様、徳川吉宗を松平健が演じ、貧乏旗本の三男坊・徳田新之助(通称「新さん」)として悪を討つという内容。将軍の後継問題も含め、江戸城下で起こる陰謀渦巻く難事件が描かれている。

 

 ドラマでは、将軍がこっそり江戸城を抜け出すなど、現実ではありえない描写がなされている。あくまでもフィクションなので多少は大目に見るとして、問題なのは「徳川吉宗は名君だったのか?」ということだ。

 

 

■政治改革で幕府の黒字化に成功

 

町火消

江戸っ子の大好きな町火消も大川の花見も吉宗の功績なのだが……。

画像:Joe Mabel, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

 たしかに将軍に就任した吉宗は、庶民の直訴を可能にする「目安箱」、困窮者や病人の救済を目的とした「小石川養生所」、町民による消防組織である「町火消」、幕政の基本法典となる「公事方御定書」など、さまざまな政治改革を実行。また、質素倹約と増税を柱とした緊縮財政を行ない、幕府財政の黒字化にも成功する。

 

これらの「享保の改革」は、南町奉行・大岡忠相(おおおかただすけ)を片腕として行なわれたもの。庶民の声を聞き、困窮者や病人のセーフティネットを整え、防災組織を整えて財政を豊かにしたのだから、「幕府中興の祖」と呼ばれるほどの名君だったといえなくもない。

 

 しかし、庶民による吉宗の評価は低かった。その原因はまさに、財政を立て直した大胆な経済政策にあったのだから皮肉なものだ。

 

大岡越前
吉宗の片腕、大岡越前守忠相(の役者絵)。こちらは庶民の人気は高いのだが吉宗は?

 

 

■庶民を苦しめた年貢の徴収法

 

徳川吉宗

もちろん地元・紀州(和歌山県)では今もヒーロー。地元には凛々しい銅像も。

画像:Adobe Stock

 幕府の財政を立て直すため、吉宗は新田開発に努め、サツマイモなどの栽培を奨励し、大坂堂島には米市場を開く。この米市場の設置で米価を調整したことから「米将軍」とも呼ばれるが、武士に有利なように米価を高くしたため、米の価格は高騰し庶民が苦しむ結果となる。

 

 それ以外にも、町民には遊郭や芝居の禁止で倹約を強制し、出版物も規制。農民には、米の収穫高で年貢の率が変わる「検見法(けみほう)」から、常に一定の割合とする「定免法(じょうめんほう)」に変更して増収を図った。

 

 すなわち、どんなに凶作でも定められた量の年貢が徴収されるわけで農民はたまったものではない。しかも「ゴマと百姓は搾れば搾るほど出る」という勘定奉行・神尾春英の言葉からもわかるように、できるだけ多く年貢を納めさせる意図があったのだ。

 

 そんな吉宗の政策に、真っ向から対立した大名がいた。徳川御三家の筆頭、尾張藩の7代藩主徳川宗春。『新・暴れん坊将軍』ではGACKTが演じている。