■北の島々で起きた「悲劇と奇跡」

 

アッツ島守備隊

玉砕という悲劇的な結末を迎えたアッツ島守備隊

画像:ワシントン大学所蔵/Public Domain via Wikimedia Commons

 太平洋戦争でのアリューシャン列島は、「悲劇」と「奇跡」が起きた島々だ。悲劇はアッツ島の守備隊玉砕。この島はミッドウェー作戦から米軍の目をそらすため、1942(昭和17)年6月6日に日本軍が占領した。

 

 そんなアッツ島は1943(昭和18)年5月12日に米軍の反抗をうけ、守備隊は5月29日に最後の突撃を決行して全滅。ここで日本軍が初めて使った言葉が「玉砕」である。

 

キスカ島守備隊

一方、全滅必至の危機から奇跡の生還を果たしたキスカ島守備隊

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 

 対する奇跡は、キスカ島からの無血撤退だ。アッツ島の玉砕で孤立したキスカ島守備隊約5000名を救出するため、日本海軍の総力を挙げた「ケ」号作戦が発動した。

 

 だが、島周辺の海域は上陸を狙う米軍艦艇に埋め尽くされていた。当初は潜水艦隊による救出を狙ったが被害が続出して断念。次の手として、地域特有の濃霧に紛れ水上艦隊がキスカ島に突入する、一か八かの作戦が立てられたのだ。

 

日本海軍の潜水艦

当初は潜水艦を使った隠密救出作戦を企図した日本海軍だったが……

(作戦に参加した特設潜水母艦平安丸【写真左】と伊号第171潜水艦)

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 

■奇しくも玉砕の日から2カ月後

 

バダック島の米海軍艦隊

救出部隊が向かうキスカ島海域は、無数の米艦隊に海上封鎖され絶望的な状況

画像:National Archives at College Park, Public domain, via Wikimedia Commons

 

 7月7日、千島列島の幌筵島から救出部隊は出撃。何度も突入を試みるが、頼みの綱の濃霧が発生せず、延期を繰り返す。さらに、艦隊近くに米軍機が接近するなどしてタイミングを失い、15日に一度撤退して幌筵島に帰投した。

 

 生存者が遺した手記によれば、15日に海岸で脱出に備えていた守備隊の面々は、撤退の報を聞き「我々も玉砕か……」と覚悟したという。

 

キスカ島上空を警戒する米軍の偵察機
隠密行動のため米軍機の接近は作戦を左右しかねない危険だった 画像:National Museum of the U.S. Navy, Public domain, via Wikimedia Commons

 だが、救出部隊はあきらめていなかった。再び出撃すると、幾度も突入のチャンスをうかがう。そして、ついに念願の濃霧が発生、奇しくもアッツ島玉砕から2カ月後の7月29日、守備隊の救出に成功したのだ。

 

 撤収人員は陸海軍合わせて約5200人。この2週間後に米軍が上陸するという、ギリギリのタイミングだった。損耗ゼロで成功したことから「奇跡の作戦」とも呼ばれるキスカの撤退。だがその裏には、英霊たちの助けがあったともいわれている。

 

神重徳大佐

キスカ撤退作戦の最後の一押しをした神重徳大佐(当時)

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 

 

■潜水艦長が目撃した「英霊の魂」

 

木村昌福少将

奇跡の撤退作戦の指揮を執った木村昌福少将。

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 

 アッツ島陥落後の11月14日、伊2号潜水艦がアッツ島方面の海域をパトロールしていたときのことだ。板倉光馬艦長がアッツ島方面を哨戒していると、突然、島から青い光が空に浮き上がった。

 

 青白い炎にも似た光はあっという間に膨らみ、潜水艦のほうへと猛スピードで飛んでくる。砲弾や信号弾よりも早く、音もない。とにかく危険があったら一大事と、板倉は慌てて潜水艦を海に潜らせた。

 

  あの光はなんだったのか……? 攻撃でもオーロラでもない光について、あれやこれやと話し合っていたところ、信号兵がぽつりと言った。

 

「艦長、あれはアッツ島の英霊たちに間違いありません」

 

 航海長も同様の証言をし、さらに戦後には、北方軍司令官だった樋口季一郎元中将までもが、キスカ撤退作戦成功の理由の一つに「アッツ島の英霊の加護」を挙げている。

 

 彼らが声を揃えて、奇跡の作戦の背後に「英霊」の存在を語るのは、実は、それ相応の理由があったのだ──。

 

樋口季一郎中将

アッツ島、キスカ島両守備隊の上官だった日本陸軍の樋口季一郎中将(当時)。彼が「英霊の加護」と語った理由とは──。

画像:Public Domain via Wikimedia Commons