■寺田心が演じた若者は後の…

もっとも有名な松平定信の肖像画。実は自画像だって知ってました?
画像:鎮国守国神社所蔵,Public Domain via Wikimedia Commons
NHK大河ドラマ「べらぼう」の第3回「千客万来『一目千本』」で描かれたのが、田安賢丸(たやすまさまる)の養子縁組についてだった。
賢丸を演じるのはCMで大ブレイクし天才子役と言われた寺田心。現在は16歳になり、もはや立派な若手俳優だ。そして賢丸は将軍家への縁組こそかなわなかったものの、陸奥国白河藩主松平定邦(さだくに)の養子となる。
そして、この賢丸こそが、のちの老中・松平定信。世に広まっている定信のイメージを一言で表すと清廉潔白な「正義の人」だ。確かに、白河藩主としての定信は真面目で実直。不正を嫌い、質素倹約を大事とする人物だった。
■作られた「正義の人」のイメージ

元幕臣で狂歌師の太田南畝(蜀山人)たちは定信の政治を批判、揶揄する作品を残した。
画像:谷文晁, Public domain, via Wikimedia Commons
そんな性格のためか、定信は賄賂を好む田沼意次(たぬまおきつぐ)(連載第7回参照)を嫌い、やがてライバルとして対立する。
意次が失脚すると、29歳で次の老中首座となり、幕政改革を始めた。これがのちにいう「寛政の改革」だ。しかし農業を重んじる改革は時代に合わず、堅苦しい政策は江戸を不況に陥らせた――。
じつは、そんな清廉潔白なイメージは、後世につくられたものなのだ。

浅間山の噴火、天明の大飢饉など大災害後の「トップ登板」だった定信。
画像:Public Domain via Wikimedia Commons
定信は自叙伝『宇下人言(うげのひとこと)』を残すほどの筆まめで、死後には家臣が彼の功績を『楽翁公著述目録』などにまとめた。これに基づき、明治中期には定信を理想的な政治家と絶賛する者も多かった。そのうちの一人が渋沢栄一だ。
だが実際の定信は、そんな正義の人ではなかったのだ。