前回(第5回)は、数々の苦難を乗り越えて成長していった、若かりし頃のオオクニヌシの神話をご紹介しました。どうにもならないときには、苦労を知り、女性にも小動物にも好かれるオオクニヌシにこそ相談したい、というお話です。
今回は、国造りを始めてからも困難に立ち向かったオオクニヌシが、縁結びの神様となるまでを見ていきたいと思います。どうにもならないようなとき、何をすればいいのかわからないとき、あらゆるご縁をつないでくださるオオクニヌシの、その御神徳の背景に迫ります。
■ヤンチャもしているオオクニヌシ

スクナヒコナ(左)と国造りに励んだオオクニヌシだったが……。
画像:Public Domain via Wikimedia Common
オオクニヌシは、海の向こうからやって来たとても小さな神スクナヒコナといっしょに国造りを進めました。ともに医療や農業を日本に広めた神々として知られています。
この2神はあるとき、オオクニヌシは“大きいの”を催すのを我慢し、スクナヒコナは大きな荷物を持って、どちらが遠くまで行けるかという競争をしています。結局、オオクニヌシは我慢できずに“大きいの”をしてしまい、思わず笑ってしまったスクナヒコナも荷物を投げ出してしまいました。その“大きいの”もまた後に大きな岩となり、今も残る地名の由来にもなっています。
こうした訳のわからないヤンチャなところも、とても親しみの持てるところです。ヤンチャな経験もある人って、何でも相談できそうな気がしませんか。しかも神様ですから。
しかし、こんなに仲良かったスクナヒコナもあるとき海の向こうへ去っていってしまいました。一人になって途方に暮れるオオクニヌシ。そこへ現れたのは……。
■光は自分の中にこそある

オオクニヌシの御霊とされるオオモノヌシを祀る奈良の大神神社とご神体・三輪山。
画像:Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons
海辺で途方に暮れるオオクニヌシの前に、海を照らしてやってくる神がいました。「私を祀れば国造りはうまくいく」というこの神はオオモノヌシノカミですが、オオクニヌシ自身の御霊(みたま)が現れた神とされています。オオクニヌシは、ここからさらに国造りを発展させていきました。
光は外にではなく自分の中にこそある。自分の中にある力や可能性に気づく場面だと私は解釈していて、とても好きなエピソードです。
どこからかご縁がつながって助けられてきたオオクニヌシが、さらなる強さを身につけて国造りを進め、ついに最大の危機に挑みます。
■譲るだけではない強さも

タケミカヅチに脅され仕方なく……と思いがちな「国譲り」の真相は?
画像:Adobe Stock(生成AI画像)
こうしてオオクニヌシが造った国はおおいに栄えましたが、これを見たアマテラスは国を譲るよう迫りました。オオクニヌシはアマテラスからの使者を二度までも籠絡し、のらりくらりと、かわし続けました。
そこへ遣わされた武神タケミカヅチノオノカミに武力で迫られたオオクニヌシは、2人の子神が降伏したことから国譲りを受け入れて幽界に隠れました。
こうして『古事記』では大きな宮殿を建てることを条件に譲っていますが、日本最初の正史『日本書紀』ではオオクニヌシはタケミカヅチノオノカミも追い返して抵抗しています。さらに、国譲りを迫る高天原側を主導していたのは、アマテラスよりも先の、最初に世に現れた「造化三神」の1柱であるタカミムスヒノカミです。
オオクニヌシはその最初の神タカミムスヒノカミとも渡り合い、直接交渉して、地上の統治を譲る代わりに幽界の神事を司ることになりました。つまり、ただ国を譲り渡したのではなく、いわば「あの世」と「この世」の支配権を交換したのが「国譲り」なのです。