『哲仁王后』では、漢字が読めない(ふりをした)王が、色本を読みふけるシーンがあったが、幼いころには多少勉学に勤しんだとはいえ、日々の生活に追われていた19歳の青年が王の役目を果たすには、あまりにも学が足りない。だから、即位したものの、すべては建前上の母・純元王后(スンウォンワンフ:安東キム氏の出で後宮のドン!)による垂簾聴政だった。哲宗は要職1つ任命するにも彼らの顔をうかがっていたそうだ。

 だが、哲宗3年から親政を開始する。民の苦しみをいちばん知る人だからだろう。すぐに民のための施策を実行しようとする。飢饉には税金を投入した救済を命令。そもそも日照りで食料がなく救済すらできないことに心を痛め、財政の節約と汚職官僚の懲戒を追加で命じている。ただ、このときの朝鮮は、安東キム氏による腐敗政治の全盛期。哲宗が思い描く改革は、ことごとくキム一族に阻まれ、民を思う哲宗の願いは虚しく散っていった。さらに、王位後継者である有力な王族がキム氏によって次々と排除されていくのを見て、自分の命も危ういと感じるようになる。

 結果、国事がおろそかになり、酒と色に溺れるように。だが実は、その前にすでに心を壊していたという説もある。もともと江華島時代に将来を誓ったヤンスンという恋人がいたが、身分のせいで後宮にすることも叶わず、彼女を忘れられない哲宗が心を病むように。それを知る者が彼女を密かに暗殺。思い人の死を知った哲宗が悲しみから、酒に溺れるようになったという野史があるのだ。さすがに暗殺は大袈裟だろうが……、いずれにせよ、農夫時代は元気だった哲宗は、王となって健康を害し、33歳の若さでこの世を去った。

『哲仁王后』では、ある噂を打ち消すために、哲宗との夜の営みをほかの側室にわざと聞かせた王妃ソヨン(心はボンファン)が「あ!私のせいだったのか……」と、哲宗が好色だったと記された歴史書の誤りに気づくシーンがある。歴史書とは勝者に有利に描かれるもの。「哲宗には能力がなく、酒と女に溺れ、早くに死んだ最低な王」というイメージは、民のための改革を疎ましく思う勢力によって作られた虚像なのかもしれない。

 と、思わせるほど、『哲仁王后』でキム・ジョンヒョン演じる哲宗は素敵だったなぁぁぁ。

『哲仁王后』画像出典:tvN