●フランスで待ち受けていた、もう一人のフリーメイソン?
渋沢とフリーメイソンを結び付けたもう一人の人物は、先に挙げた『航西日記』などでシーボルト以上に頻繁に名前が出てくる。その名はポール・フリュリ=エラール、渋沢の伝記などでは、ヨーロッパ最新の金融システムや銀行の意義などを渋沢に教えたとされる、フランス人銀行家だ。いわば、日本資本主義の父の師匠にあたる人物といえる。
しかし、このフリュリ=エラールも、きな臭い裏の顔があった。そもそも徳川幕府と彼が結びついたのは、幕府方の軍艦を建造する横須賀造船所建設や幕府陸軍の武器弾薬輸入で資金のやり繰りを担ったからとされる。要は銀行家であるとともに武器商人の一面もあったのだ。
●渋沢の師・フリュリ=エラールの知られざる一面とは
そして、フリュリ=エラールが渋沢ーフリーメイソン(特にロスチャイルド家)を繋いだキーマンとされる最大の理由が、彼がオーナー経営者だったフリュリ=エラール銀行にあった。当時、この銀行はフランス最大の銀行だった「ソシエテ・ジェネラル」の支配下にあったのだが、このソシエテ・ジェネラルの基礎を築いた人物こそが、パリ・ロスチャイルド家の当主、ジェームズ・ド・ロスチャイルド男爵だったのだ。
(ただし、残念ながら渋沢がロスチャイルド男爵と会っていたという当時の記録はない。あるいは、明らかになっては危険すぎて、隠蔽されたのかもしれないが……)。
シーボルトを通じてロンドン・ロスチャイルド家と、フリュリ=エラールを通じてパリ・ロスチャイルド家と結びついた渋沢栄一。こうした事実をもとに
「渋沢はフリーメイソン(あるいはロスチャイルド家)の傀儡として日本経済の基礎をつくった」
「日本経済が秘密結社や国際金融資本の支配下にある原点は渋沢にある」
といった都市伝説が語られる。
しかし、そもそもフリーメイソンやロスチャイルド家は、渋沢を通じてどうやって日本経済を支配しようとしたのか? そして実際に渋沢が彼らの意を汲んで活動した証拠はどこにあるのか? 次回中編では、その点について紐解いていく。
参考資料
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』(渋沢栄一記念財団)
『渋沢栄一自伝 雨夜譚・青淵回顧録(抄)』(渋沢栄一/角川ソフィア文庫)
『幕末武州の青年群像』(岩上進/さきたま出版会)
『幕末の志士 渋沢栄一』(安藤優一郎/MdN新書)
『渋沢栄一 上 算盤編』(鹿島茂著/文春文庫)