●日本銀行設立の裏で起きていた「暗闘と謀略」!?

 

 仮に、都市伝説で語られるように渋沢がフリーメイソンやそれを裏で操るロスチャイルド家の傀儡だったとしたら、最終目標は中央銀行を牛耳り、通貨発行権を握ることになる。では、日本の中央銀行である日本銀行の設立に渋沢はどう関わったのか?

 日本銀行が設立されたのは1882年(明治15)10月。主導したのは後の総理大臣・松方正義で、渋沢自身はトップの総裁職ではなく、一委員の座に留まった。「じゃあ、渋沢はロスチャイルドの指示を全うできなかったのか?」と考えるだろうが、むしろ、裏できな臭い動きをしていた可能性が高いのだ。

松方正義に中央銀行設立を”指示”した(?)、パリ・ロスチャイルド家2代当主、アルフォンス・ド・ロスチャイルド。

 まず日銀設立の5年前の1878年(明治10)、渋沢同様に当時の大蔵卿・大隈重信と対立して大蔵省を追われた松方は渡欧。そして、渡航先のパリで”ある人物”から中央銀行設立を熱心に奨められたと記録に残っている。その人物とはアルフォンス・ド・ロスチャイルド、パリ・ロスチャイルド家の二代目当主だ。薩摩藩出身でイギリス寄りだった松方をロスチャイルド家と繋いだのは誰か? ましてや中央銀行という金融システムを学ぶよう促したのは? 当時、松方と近かった人物でこの条件に当てはまるのは渋沢栄一しかいないのだ。

 さらに1881年(明治14)7月、松方は日銀設立の建白書を提出。ただ、その当時、松方は大蔵卿の大隈と紙幣の運用法について激しく対立していた。自伝『雨夜譚』によれば、渋沢は紙幣の運用については松方寄りだったという。そのため民間銀行を取りまとめていたのだが、政府内の大隈一派から切り崩しを受け、追い詰められていたようだ。しかし同年10月、事態は一変。いわゆる「明治十四年の政変」でスキャンダル流出の黒幕として大隈が政府を追われる。

 

 今もって不可解なことの多いこの政変。黒幕は今も謎だが、大隈が退場したことで得をしたのが渋沢や松方だったのは間違いない。実際、松方が後任の大蔵卿に就任し、ここから動きは一気に加速。翌1882年(明治15)10月には日本銀行が設立されているのだ。維新直後から国家財政を一手に切り盛りしてきた大物が政界から追われた途端、初代ロスチャイルドが「一国の経済支配のカギ」としていた中央銀行が成立。しかも中心人物はロスチャイルドゆかりの松方、そして渋沢。この裏になんらかの大きな力が働いていたと考えても無理はないところだ。