■創始者はベトナム戦争の“申し子”デビッド・タイ

 創始者でリーダーのデビッド・タイ(David Thai)は1956年、ベトナムのサイゴンに生まれた。ベトナム戦争(1955ー75)の真っ只中で、タイは10代の前半に、米軍と軍事グループの間に入って麻薬を仲介。終戦後に難民として渡米し、インディアナ州から1976年にニューヨークへ。レストランで働きながら、小さな偽造時計工場を建設した。これが後に大きなビジネスへと発展することになる。

 タイは経済的な可能性を探るため、カナルストリートを訪れるようになり、1983年にチャイナタウンで最大のギャング、フライングドラゴンに加入。しかし、中国人メンバーからベトナム人は下に見られ、危険な仕事ばかりを任されるのに愛想を尽かして脱退。偽造時計産業に本腰を入れ始めた。

 折しもその頃、多くのベトナム人移民がニューヨークへ到着。その多くは家族と離れ離れになったボートピープルで、身よりもなく、ニューヨークには前世代のベトナム人がいないため、住居を引き継ぐこともできず、言葉も話せず、金もなかった。

■「時計を買うか、死ぬか!」で年間1300万ドルを荒稼ぎ

 そこで、実業家として成功したタイにベトナム人の若者が援助を求め、彼は若者を使ってカナルストリート沿いのレストランのオーナーと店主を標的にしてみかじめ料を徴収。ロレックスやカルティエなどの偽造時計の組み立て職人として、若者たちを雇ったのがグループの始まりとなった。

 彼らは町の商店に「時計を買うか、死ぬか」と脅迫。カナルストリートの縄張りにあるフォーハノイレストラン(the Pho Hanoi restaurant)を非公式の本部と集会所としたデビッド・タイの事業は、カナルストリートの偽造市場を生み出し、海賊版商品の世界的な観光名所となった。後にインタビューで、タイは「1988年だけで、偽造時計の売上で1300万ドルを稼いだ」と自慢したという。

 また、大きな売春宿を経営し、多くの東南アジア人女性を輸入。街中で強盗、恐喝、殺人を行う集団として恐れられていた。