■「やればできる!」精神でブラック上司の無茶ぶりも快諾

鎌倉幕府二代将軍(鎌倉殿)の源頼家。幕府の公式記録ともいえる『吾妻鏡』ではバカ殿として散々な書かれようだが……

:鎌倉幕府二代将軍 源頼家像 京都 建仁寺所蔵

 源頼朝(演・大泉洋)が急死し、有力御家人の本格的なバトルロイヤルが始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。 ドラマタイトルの由来「13人の合議制」もついに始まるのだが、そのきっかけとなったのが、二代目鎌倉殿の座に就いた源頼家(演・金子大地)だ。

 ただ、この二代目、幕府側の(ほぼ)公式文書『吾妻鏡』ではかなり評判が悪い。

 いわく「蹴鞠にハマって仕事しない」「狩りばっかりしていて政治に見向きもしない」はては「出張を命じた隙に部下の嫁さんを略奪。さらにそれを嘆いたら反逆者として討ち取ろうとする」という非道っぷりが記されている(注1)

注1/ただし、『吾妻鏡』自体が北条寄りの人物たちが書いたとされ、「北条上げ/源氏下げ」の傾向が強い。こうした典型的な「バカ殿」エピソードも捏造の可能性が少なくない。事実、同時代の『愚管抄』では「古今絶えてないほどの(弓の)腕前の持ち主と隠れもない評判」と、優れた武士であったと評されている。

 そんなブラック上司の無茶ぶりの犠牲となったのが、以前紹介した「曽我事件の裏で起きていた怪異」のキーパーソンだった仁田四郎忠常(演・高岸宏行/ティモンディ)。

 頼朝に続いて頼家の信頼も篤かった豪傑の仁田忠常は、二代目鎌倉殿の無茶な命令を「やればできる!」と快諾したせいで、とんでもない目に遭うことになるのだ。

■富士のすそ野に存在する「謎の洞窟」を調査せよ!

思えば仁田忠常の豪勇ぶりが一躍有名になったのも、源頼朝が行なった「富士の巻狩り」から。 将軍親子二代の下で「狩りと怪異」に関わるのも何かの因縁か?

 事の発端は源頼家の趣味だった狩り。建仁3年(1203)6月、二代目鎌倉殿の座に就いてすでに約4年半。「13人の合議制」との対立やら支援者の一人、梶原景季(かじわらかげすえ/演・中村獅童)を失ったりしたものの権力は安定(注2)。憂さ晴らしなのか趣味の狩りや蹴鞠にのめり込んでいた頃だ。

注2/実際、この直前5月には叔父の阿野全成(あのぜんしょう/演・新納慎也)を謀反の疑いで流罪にし、6月末には誅殺。後々に跡目争いで禍根になりそうな人物を消して権力基盤の安定を図っている。

 まず6月1日に伊豆国伊東崎(現在の静岡県伊東市)に狩りに向かった頼家一行。そこの山中で巨大な穴を発見し、側近だった和田胤長(わだたねなが/注3)に調査を命令。午前10時頃、謎の洞窟に突入した和田は約8時間後に帰還。和田の報告によれば(『吾妻鏡』建仁三年六月一日)、

注3/和田義盛の甥で弓の名手。胤長が探検した洞窟とは伊東市南部の大室山とされる

「真っ暗な洞窟を数十里ほど行ったら、大蛇が襲ってきたので斬り殺してやったっス!」

 とのこと。数十里といえば最短で80キロメートル、仮に九十里だったら360キロメートル! 真っ暗闇の中往復してこの時間で済むはずもなし、どう考えても和田胤長の‟ガセ報告”だが、これで頼家の「洞窟探検熱」に火がついてしまった。

 同月3日、今度は駿河国富士(現在の静岡県富士宮市)に狩りに向かい、やはりそこにあった謎の巨大洞窟「人穴(ひとあな)」探検を仁田忠常に命じたのだった──。