■地域に根付き、市民と共同で作り上げるお祭り

 万灯行列は鬼子母神堂の参拝が目的ですから、参道を通り本堂まで行くのですが、祭りで大勢の客が集まり屋台も並ぶ参道は狭く、万灯が通る時は枝垂れ花を閉じて細身にしたり、屋台が屋根を引っ込めたりしなければなりません。

 人々の通行を制限したり渋滞したりとなかなか大変ですが、参道は万灯を間近に見られる観客にとっても嬉しい見物スポットです。万灯ごと本堂の前まで進んで参拝した練り歩きの一行は、鬼子母神堂の境内から退場すると、日蓮上人の法要が行われる法明寺へと向かい、そこでの参拝を終えて練り歩きが終了となります(鬼子母神堂は飛び地となっていますが、法明寺の一部です)。
 例年は19時から始まった参拝行列が23時を過ぎて終わるくらいの行列となるのですが、今年はコロナ禍も収束したわけではないので規模が縮小され、20本近くあった万灯も6本となりました。

参道に入る万灯

■インドの神話に描かれた鬼女・鬼子母神

 ところで、どうして宗祖日蓮の法要に鬼子母神が関わってくるのでしょう。鬼子母神は仏教の創始者であるインドのゴータマ・シッダールタ(“釈迦”(しゃか)あるいは“仏陀”(ぶっだ)とも)と関係のあった夜叉といわれる『鬼』の女性です。インドではサンスクリット語で“ハリティー”、仏教では“訶梨帝母”(かりていも)と呼ばれていました。
 ハリティーは500人あるいは1000人もの子を産んだといわれますが、そのために膨大な栄養が必要となり、大勢の人間の子供を捕まえそれを食べていました。釈迦は、そんなハリティーを改心させるため、彼女の最愛の存在である末の子ピンガラを目の届かないところに隠し、半狂乱となって探し回る彼女に、子を失った母の気持ちを理解するように促したといいます。

■鬼子母神伝説と日蓮宗を開いた日蓮上人

 改心したハリティーは仏法を守護する神となり、安産・子育てのご利益を授ける鬼子母神として崇められるようになります。そのため、「鬼」の字の上の点をなくした表記が正しいとされます。“角のとれた鬼女”だったというわけですね。
 日蓮宗の祖、日蓮上人はさまざまな仏話の中でも特にこの釈迦と鬼子母神のエピソードを重視していたとされ、仏法守護神としても重要な位置にいるとしました。そんなわけで、日蓮宗や日蓮が重視した法華経を主要教典とする法華宗でも、鬼子母神を信仰対象とする傾向があるのです。
 そうした寺院にはもちろん鬼子母神の像もあるのですが、仏法守護神としての姿だけでなく、鬼の形相をしたものもあります。例えば厳しい母や祖母などを“鬼ばばあ”などと呼んだりすることがありますが、人間が恨みなどによりともすれば鬼に変わることがあるという考え方の元になったのかもしれません。

三澤寺に安置されている子安鬼子母神

(撮影:かにみこ/クリエイティブ・コモンズ)