■大化の改新は「サッカー」がきっかけだった!?
唐といえば、日本から“遣唐使”が送られていた時代です。日本には、その前段階にあたる“遣隋使”の時代に蹴鞠が伝わっています。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が“乙巳の変(いっしのへん)”にはじまる「大化の改新」を起こしたことは有名ですが、この二人は中大兄皇子が法興寺(ほうこうじ)で開いた蹴鞠の催しがきっかけで親睦を深めました。
蹴鞠の会で中大兄皇子は蹴り損ない、脱げた沓(くつ)が鞠とともに飛んでしまい、それを拾ったのが中臣鎌足だったのです。
中大兄皇子はあまり蹴鞠が得意ではなかったのかもしれませんが、伝わってきたばかりの蹴鞠をまだ未熟なテクニックで遊んでいた様子がわかります。また、蹴鞠は日本で独自の発展をしてゆくことになりますが、当初からそのルールは中国とは異なるものでした。
日本における蹴鞠は、基本的には数人のチームで蹴りあう鞠を、いかに落とさず蹴り続けられるかというルールです。貴族たちの遊戯とされ、後の時代には遊女も遊んだとされます。どちらにしても、ゴールがあったりするわけではないので、日本では蹴鞠がサッカーのルーツだといわれても、ピンと来ないのが正直なところでしょう。
■「ハンドは反則」のルールも中国発祥だった!?
中国の蹴鞠も時代とともにさまざまに変化していき、ゴールまでボールを運ぶルールも存在しました。どうやら一つのゴールを二つのチームで争うスタイルだったようです。ボールを手で触ってはいけないというルールもあって、頭なども使われたことは、弓で“蹴る”ことを“お辞儀”を意味する言葉で読んでいたことからも想像できます。
類似する点を挙げていくと、なるほど確かにサッカーの祖先といえそうな気はしてくるし、少なくとも唐代には西欧世界とも交流があって、蹴鞠のルールが伝わっただろうということは理解できます。
■”サッカー宗主国”のイギリスは猛反対するものの…
こうした歴史を踏まえて、FIFAが中国をサッカーの発祥地としたものと思われますが、必ずしも皆がそれに納得しているわけではありません。特に強く反発してるのがイギリスのサッカー関係者で、スタッフォードシゃー大学教授で『ベッカム神話 全地球的アイドルの研究』の著者でもあるエリス・カシュモア氏らを旗印に、FIFAの見方を「こじつけ」だと否定しています。
中国以外にも「サッカー発祥地」を名乗っている国はあるのですが、近代サッカーについては1863年にロンドンで設立された「フットボール・アソシエーション(The FA)」から始まったという見方は定説に近く、FIFAの決定には何か裏があるのではないかという疑惑も持たれているのが現状のようです。
一説にはサッカー発祥の国、あるいは”サッカー宗主国”を自認するイングランドサッカー協会とFIFAとの間の確執が原因だったのではともいわれています。いずれにせよ、サッカー中国起源説にイギリスのサッカー関係者やファンが怒り心頭なのも無理ないところですが……。