■1時間に5人が銃で命を落とす恐るべき銃社会

 2022年11月、米国では1年間で611件の「銃乱射事件」が発生し、4万人が銃で死亡した、と非営利団体「ガン・バイオレンス・アーカイブ」が発表した。単純計算で1時間ごとに5人弱が銃で命を落としている異常事態がアメリカの日常なのだ。

 一般市民が銃を持てない日本から見ると信じられない話だが、2000年代に入ってからも、アメリカを中心に海外では凶悪な犯罪が多発。中でも被害が大きかった事件をいくつか取り上げたい。

■「バージニア工科大学銃乱射事件」(2007)

バージニア工科大銃乱射事件当日、ホールで息を殺して身を寄せ合う被害者たち William Chase Damiano, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

 いわゆる「スクールシューティング」と呼ばれる、学校など教育機関での銃乱射事件で、最悪の被害をもたらしたのは、2007年4月16日の「バージニア工科大学銃乱射事件」だ。

 バージニア工科大学で、拳銃2丁を持った男が当日の朝7時15分頃から銃撃を開始。9時45分に警察が到着し、容疑者がいる部屋に踏み込むと、すでにその場で自殺していた。

 この事件による死者は32人、負傷者は29人。犯人は同大学の学生だった在米韓国人で韓国籍のチョ・スンヒ(当時23)だった。

■「ラスベガス・ストリップ銃乱射事件」(2017)

地元紙「ラスベガス・レビュー・ジャーナル」が報じた事件直前の犯人スティーブ・パドックの様子。動画の全貌はこちらの記事から https://www.reviewjournal.com/crime/shootings/stephen-paddocks-evil-intent-invisible-on-mgm-surveillance-video/

 2017年10月1日、アメリカのネバダ州ラスベガスではカントリーミュージックの音楽祭が開催され、2万2千人以上の観客で賑わっていた。午後10時5分、男がホテルの部屋から音楽祭の会場へ向けて発砲を開始。11分間の間に1049発の弾丸を撃ち込み、60人が死亡し、867人が負傷した。

捜査機関が公開した銃撃犯スティーブン・パドックのパスポート

/Wikimedia Commonsより

 犯人はネバダ州在住のスティーブン・パドック(当時64)。警察が踏み込む前にパドックは自殺し、動機は分かっていない。事件後には悪名高いテロ組織が関係を匂わせる声明を出したが、その後の警察の調べでも確認はできなかったという。

 ホテルの部屋からはAK-47系の自動小銃を含む18丁の銃と弾薬が発見され、銃は連射ができるように改造が施されていた。さらに事件後、自宅から18丁の銃と爆発物、数千発の弾丸が発見された。背後関係は不明にしても、周到に用意された凶行だったことだけは間違いない。

■「ノルウェー連続テロ事件」(2011)

ブレイビクが最初に自動車爆弾で襲撃した首都オスロの官庁街から立ち上る白煙。まさにテロと言える規模の凶行だった。

 現時点で、“21世紀最悪の事件”と呼べるのが、この事件だ。

 2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロで、男が政府中枢部が入る庁舎を爆破し8人を殺害した。

 続いて男はオスロ近郊にあるウトヤ島へタクシーで移動。当時、ノルウェー労働党青年部の集会が行われ、10代の青年700人が参加していた。

ブレイビクが事件当時に使用したニセの警察ID Wolfmann, CC BY-SA 4.0 ,

via Wikimedia Commons

 男は警察官の制服に着替えて警察官になりすまし、午後5時より銃を乱射。69人が死亡し、100人以上が負傷した。

 犯人は、ノルウェー国籍の男、アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(当時32)。事件直後に逮捕され、2012年8月21日に禁錮最低10年、最高21年の判決を言い渡された。

■陰謀論には頻出の「あの組織」の名前が…

ブレイビクの押収品の中からはテンプル騎士団の紋章をあしらった装具が出てきた Wolfmann, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 なおブレイビクは犯行以前から陰謀論や都市伝説では定番の「テンプル騎士団」のメンバーを自称したり、反イスラムの秘密組織「Order77」なる団体に関わっているなどとしていた。こじらせた妄想と一笑に付したいところだが、捜査当局では「少なくともテンプル騎士団に関しては、ブレイビクの妄想とは切り捨てられない」と気になる見解を述べている。

 また、ブレイビクは服役中、ハンガーストライキを計画したが、その主張は「刑務所内のテレビゲーム機をPlayStation 2からPlayStation 3へ変更し、面白いゲームソフトを与えよ」というものだった。

69人もの命が失われた悲劇の島ウトヤ

Paalso; Paal Sørensen 2011, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

 2022年、刑期が10年を過ぎたことで、ブレイビクは仮釈放申請を行なった。ブレイビクは審理は、ナチス式敬礼を行ない、事件を起こした理由について「ネオナチ運動に洗脳されていた」と主張。仮釈放申請は却下されたが、2033年には出所する予定だ。

 銃乱射事件の犯人は事件後自殺する例が多く、その動機は解明されないことが多い。海外旅行の際は、巻き込まれないことを祈りたい。