■00年代中国を震撼させた謎の連続殺人鬼が遂に逮捕

 闇に紛れて男が家に侵入し、斧やハンマーで家族全員を殺害する……まるでB級ホラー映画のような話だが、これは実際に起きた事件なのだ。しかも、26回も!

 2003年11月3日、中国の河北省の娯楽施設における警察の定期検査中、不審な男が交流された。警察が男を尋問すると、4つの州で殺人容疑で指名手配されていることが判明。さらにDNA検査によって、67件の殺人と、23件のレイプ事件に関与していることがわかったのだ。

 男は当時34歳の楊新海(Yang Xinhai・ヤン・シンハイ)。1949年に中華人民共和国が成立して以来、最も多くの人を殺した連続殺人犯として知られ、メディアには「モンスターキラー」と呼ばれている。以下、この“怪物”の凶行の記録についてみていこう。

■67人を殺害、23人をレイプの凶行を繰り返した男

 ヤンの故郷は、コロナ・パンデミックの震源地として知られる武漢市の北300キロほどにある河南省の貧しい村。その村でも最下層の貧農の家の四男として生まれたという。幼い頃は利発な子だったそうだが17歳で高校を中退すると、中国国内を転々と出稼ぎ労働者として放浪した。

 その後、1988年に陝西省西安で、1991年には河北省石家荘で二度にわたり窃盗の罪で強制収容所に収監される。さらに、1996年には強姦未遂の罪で5年の判決を受け、1999年に釈放された。

 出所後、ヤンの犯罪は急速に過激化した。2000年から2003年にかけて河南省、安徽省、山東省、河北省を時には自転車を使って移動。わずか4年間の間に26件の事件を起こし、67人を殺害、23人をレイプしたのだ。

 なかでも2002年には11件の事件を起こし、11月には3件の事件で8人を殺害、3人をレイプ。12月には2週間の間に、4件の事件で12人を殺害し、3人をレイプしたのだ。

 犯行は主に夜に行なわれ、犠牲者の家(主に農民)に侵入すると、斧、ハンマー、シャベルで家族全員を殺害。ヤンは毎回新しい服と大きな靴を履き、犯行が終わると血にまみれた服や凶器を処分していた。

■稀代の連続殺人鬼を凶行に駆り立てたものは?

 中国史上最悪の“モンスターキラー”ヤンは逮捕後、

「人を殺したらまた殺したくなる。彼らが生きるに値するかどうかは気にしない。社会の一員になりたいという気持ちはない」

 と語ったという。:67人の命を奪った凶行の動機が不可解ということで、中国国内では「動機無き殺人鬼」などと呼ばれている(一説には彼女に振られたのがきっかけとの話もあるが)。ただ、育った土地や時代の背景を考えると、この“怪物”が生まれた原因もうっすら見えてくる。

 ヤンが生まれた当時は、4000万人もの餓死者を出したと言われる大躍進政策の失敗と文化大革命の動乱で故郷の河南省は荒廃しきっていたという(住民の8人に1人が餓死したとの説も)。その後、70年代末から80年代を通じて急速な経済発展を遂げる一方、貧富の差は拡大。多感な思春期を貧農の末っ子として過ごしてヤンが社会に対して恨みを募らせたとしても何もおかしくはない。

■モンスターキラーは「中国版・無敵の人」の犯罪だった!?

 さらに80年代半ば、優秀な生徒だったが何らかの理由で高校を退学後、後に社会問題化する「農民工(出稼ぎ労働者)」の一人として各地を流浪することになるヤン。1989年の天安門事件を挟んで、ますます豊かになっていく社会から疎外され、流氓(りゅうぼう/りゅうまん)のような犯罪グループに加わることもできず、ただ孤立化と恨みや怒りを溜めていく。

 ヤンの犯歴をみても、二度の窃盗から始まり、婦女暴行、強盗殺人へとエスカレートしていき、10歳にも満たない子供もスコップで殴り殺すような血も涙もない怪物へと育っていくのがわかる。同情の余地はないのは間違いないが、逮捕後の「社会の一員になりたくない」という発言をみても、近年の日本でも注目されている、何も失うものがなく凶行を犯すことに何の躊躇も感じない「無敵の人」の一人だったのかもしれないと考えさせられる。

 

 なお、ヤンは逮捕からわずか3カ月後の2004年2月14日、銃殺隊によって処刑された。ここまで刑が急がれたのは、凶悪な犯行ゆえか、それとも中国社会に与えるショックを隠ぺいするためだったのか、これもまた謎は残ったままだ。