■人類史最大のロマン「恐竜と共存していたのか⁉」

クウェートで発見されたとされる恐竜壁画。狩りをする人々と一緒に、白い円の中や画像左上には竜脚類の恐竜らしき姿が……

 洞窟の奥で秘宝を守る竜に、空を飛び火を吐くドラゴン、あるいは7つの珠を集めたらどんな願いもかなえてくれる神の竜(大人の事情w)……ファンタジーやマンガの中では定番の存在「ドラゴン/竜」。創作はもちろん世界各地の神話でも、われわれ人類と”彼ら”が共存する姿が描かれてきた。となると……、

「神話や伝説がなんらかの事実をもとにしたものならば、竜(恐竜)も人類と共存していたのでは?」

 そう考えたくなるもの無理ないところ。こうして「恐竜と人類共存説」は古くから多くの人のロマンをかきたててきたわけだ。

 とはいえ、ほとんどの恐竜が絶滅したのは約6600万年前。われわれ現生人類の登場は20~30万年前(諸説アリ)。6000万年以上の時を隔てた両者が共存していたかといえば、「んなことあるかい!」というのが学会の常識。ただ、そんな常識を揺るがすような遺物も次々と見つかっているのだ。

■恐竜との共存を示す「動かぬ証拠」が世界各地で!

ナルメルのパレット。写真右、赤丸に囲まれた箇所にあるのが首長竜のような怪物「サーポパード」のレリーフだ。

 有名なところでは、エジプトで出土した「ナルメルのパレット」に描かれたサーポパード(首長猫)ともマフートとも呼ばれる怪獣。カバのような体に長い首の先についたライオンのような顔とキメラ生物のように描写されるが、一説には巨大な竜脚類を描いたものとされる。

 さらに古い、古代人類が描いた「恐竜壁画」も北米・南米大陸を中心に世界各地で見つかっている。1879年にアメリカ、アリゾナ州のハヴァス川の渓谷で見つかった壁画には前脚を上げて立ち上がりかけたような首長竜の姿が描かれている。

アリゾナ州ハヴァスパイ居留地を流れるハヴァス川の渓谷沿いで見つかった恐竜壁画。写真左赤丸の中に恐竜が、その右下に人間の描写が見える

 また、南米のペルー・アマゾンのウトゥクバンバ県ヤモン地域にある「ヤモン遺跡」から見つかった、8000年前の壁画には、長い首を持つアルゼンチノサウルスらしき生き物の姿が描かれている。

 そして、こうした恐竜と人類の共存を指し示す「動かぬ証拠」のなかでも、質、量ともにもっとも謎めいた存在が「アカンバロの恐竜土偶」なのだ──。

■メキシコの小さな町で見つかった3万を超す「奇妙な土偶」

 1945年7月、首都メキシコシティーから北西に約200キロ、人口10万人ほど(直近データ)の小さな街、アカンバロに住むドイツ人実業家ワルデマール・ユルスルートが、町外れの山の麓で奇妙な土偶を発見。ユルスルートは現地の農民を雇い、残りの土偶を掘り返し、持ってきた土偶ごとに金を払った。

 7年に及ぶ収集の結果、恐竜のようなものや、人間を食べる恐竜、恐竜に乗っている人間、エジプト人、シュメール人、髭を生やした白人など、ありとあらゆる造形の土偶、3万2000個以上もが発見された。

■地元の考古学者は「地元民の捏造」と断定!

 ただ、この世紀の発見は、考古学者のチャールズ・C・ディペソ(Charles C Di Peso)によって、あっさり否定されてしまった。「発見」された土偶は地元の農家によって捏造されたものである、と断定されたしまったのだ。

 実際、土偶の造形の中には、ティラノサウルスがゴジラのように直立しているなど、後の古生物学の研究で覆された古い恐竜観に基づいたものや、空想の産物としか考えられないものも多数存在している。土偶が発見された1945年以前の「恐竜のイメージ」のみで制作されたとなれば、「恐竜と人類が共存した証拠」とは言えないのかもしれない(注1)

注1/土偶はアカンバロの映画館で上映された映画、地元で入手可能な漫画、新聞、などを資料に制作されたという指摘もある。

 またディペソは、土偶の隙間に汚れが詰まっていなかったこと、いくつかの土偶は壊れていたが、欠品がなく、表面が摩耗していなかったことなどを指摘。ディペソは1944年以降、地元民がこれらの土偶を作ってユルスルートに1ペソで販売していたことを突き止めた。

■科学的測定で紀元前1000~4000年の遺物と判明!

 しかし、落胆するユルスルートの前に”救いの神”が登場する。友人の地質学者で、「ピり・レイスの地図」(注2)や「ポール・シフト」(注3)の研究者として知られる、チャールズ・ハプグット(Charles Hapgood)教授だ。

注2/15世紀後半から16世紀初頭のオスマン帝国の提督ピり・レイスが制作したという航海地図。当時発見されていなかった南極大陸が正確に描かれているとされ、オーパーツのひとつに数えられる

注3/地球の回転軸がズレ、南極・北極の位置が入れ替わるような激変が周期的に起き、超古代文明が滅びたする仮説。

 ハプグッド教授は土偶のサンプルを持ち帰り、ニュージャージー州にある年代測定専門会社に調査を依頼。C14法(放射性炭素年代測定)で測定したところ、紀元前1000年から紀元前4000年のものという結果が出た。さらに翌年、熱ルミネッセンス法による測定では紀元前2500年±250年という結果も出たのだ。

 ただし、これらの測定結果はそれぞれ適切な手順を踏んでおらず、測定結果もばらつきが多くて信憑性に欠けるという指摘もある。これらの年代測定は「制作された年代」を測定するわけではなく、「材料の年代」を測定する方法のため、古い地層の土を使って制作された場合は、制作年代よりも古い測定結果が出てしまうからというのが否定派の論拠だ。

 また、アカンバロに住んでいた先住民は中央アメリカ地域でもっとも古い文化のひとつ、チュピクアロ文化に属していた。その起源は紀元前800年から紀元2200年と推定されており、貴重かつ奇妙なフォルムの陶器が数多く発見されている。アカンバロの恐竜土偶もこの系譜につながるものなのかもしれない。

 なお、アカンバロの恐竜土偶は現在、世紀の発見者であるユルスルートの名を冠した、ワルデマール・ユルスルート博物館(Waldemar Julsrud Museum)で展示されている。

 果たして本物なのか、偽物なのか、謎を秘めたままの「アカンバロの恐竜土偶」はそのポップでキュートなデザインで、人々の興味を惹きつけ続けているーー。