■前回の反省を生かし、まずは斎場御嶽へ
2007年6月、前回行けなかった久高島(くだかじま)へのリベンジを果たすために、ふたたび沖縄本島へと渡った。久高島に行くためには、まず斎場御嶽(せいふぁーうたき)でお参りをしないといけない……そう沖縄の友人に言われたのだ。
宿泊していた国際通りのゲストハウスから、バスを乗り継いで斎場御嶽へと向かった。斎場御嶽は琉球の始祖「アマミキヨ」が国造りの始めに定めた聖地「国始めの七御嶽」の一つに数えられる沖縄最高の聖地。琉球における最高位の神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行なわれたという。
斎場御嶽は2007年7月より観覧が有料化されたが、この頃はまだ無料だった。入口を抜けてしばらく山道を歩いた後、三庫理(さんぐーい)と呼ばれる巨岩を三角形にくり抜いたような場所にたどり着いた。沖縄でも有数のパワースポットと紹介される場所だ。その後、久高島遥拝所へ向かった。天気もよく久高島をしっかりと望むことができた。きちんとお参りをして……いざ久高島へ。
■遂に念願の「神の島」に上陸!
斎場御嶽から安座真(あざま)港に向かい、フェリーに乗船すると20分ほどで久高島の徳仁(とくじん)港に到着した。ここでもう一度、久高島の説明をしておきたい。久高島は、沖縄本島の知念(ちねん)岬の東の海上5.3kmにある、周囲約8.0km、人口は220人ほどの小さな島だ(注1)。
注1/ザックリ言うと「東京ドーム約30個分」で沖縄にある47の有人島の中でも37番目の小ささ。
琉球開びゃくの始祖・アマミキヨが降り立った島として、島自体が沖縄最高峰の聖地とされており、「神の島」と呼ばれている。また、12年に一度行なわれる、久高島で生まれ育った30歳~41歳の既婚女性が神女(神職者)となるための就任儀礼「イザイホー」が有名だ(注2)。
注2/残念ながら1978年を最後に行なわれておらず、後継者不足や伝統の途絶が心配されている。
■久高島に残る「絶対に破ってはいけない」タブー
そして、久高島には様々な「禁忌/タブー」や決まりごとがある。御嶽や拝所(うがんじゅ)など島内至るところにある聖域には立入禁止の場所が多く、島の動植物をはじめ海浜の石や砂、サンゴのかけらなど自然物の持ち出しはすべて禁止されている。他には、神事の期間中は集落から北への立ち入りが制限されるなど、沖縄では古来より神聖な島として信仰されてきたのだ。
港に到着するとすぐに久高島の地図をもらい、民宿へと案内してもらった。島巡りは翌日にするとして、この日は島で唯一、遅くまで開いている食堂で夕飯を食べた後、眠りについた。
■さっそく島の聖域を巡るものの……
翌日、早く起きた私はレンタル自転車を借りて島を回ることにした。久高島には数々の神聖な御嶽や古来から守り伝えられてきた史跡がいくつも残されている。島の外周をぐるりと巡る道沿いに聖域がある。まっすぐの道だし地図なんて見なくてもいいような……。意気揚々と走り出した。
……それから30分後、私はひたすら自転車を漕ぎ続けていた。どういうわけなのか、1つ目の聖域にまったく到着しないのだ。当時はまだスマホもなかったが、民宿からわずか1kmほどの距離なのに一向にたどり着かない。それでも自転車を漕ぎ続けていると、ふと気がついた。この道、さっきも走ったところじゃん……。
おかしい……。その後も首を傾げながら自転車を走らせるものの、何度も同じ道に戻ってきてしまう。今度はきちんと地図を見て、道を一つ一つ確認しながら自転車を走らせる。しばらく走ると……なんともあっさりと、1つめの聖域である「ヤグルガー」に到着したのであった。
■“第一聖地”ヤグルガーで目にした人生最高のビーチ!
ヤグルガーは久高島開びゃく神話に登場し、今も神女が禊に使う神聖な井泉で、階段の一番下突き当りにある岩陰の穴には水がたまっている様子が見える。そこから美しい海を臨むことができるのだが、遊泳は禁止されている。これもまた、島で犯してはならないタブーの一つだ。
ただ、今まで各国でビーチを見てきたけれど、これ以上にきれいな海は見たことがない。スマホも加工アプリもない時代、デジカメで撮っただけでこの透明度である。なお、現在のヤグルガーは階段の補修工事が行なわれており、立ち入り禁止となっている。