■山の精霊への信仰がある集団と結びついた?
山梨岡神社のご神体は背後にそびえる「御室山」と書いたが、この御室山には珍しい古墳が存在する。例大祭当日にご神体の山にずかずか入ったら天罰てきめんなので、ビビりの編集部はご遠慮したが、地元の方のブログなどを見ると、見事に石を組み上げて造られた古墳だ。
この珍しい形式の古墳を「積石塚」と言い、日本国内でもこの山梨岡神社から甲府にかけてのエリアと、長野県、遠く離れて香川県と徳島県にしか見られない形式だそうだ(一部例外あり)。地名を見てピンときた方もいるだろうが、この積石塚は大陸からの渡来人が持ち込んだものだという。
なお、積石塚、渡来人、山がご神体というキーワードで見ると、実は「雁坂みち」を通じてつながる秩父~群馬県境にも気になるスポットがある。埼玉県本庄市児玉の金鑚(かなさな)神社のご神体も「御室山(御室ヶ嶽)」で、山を越えたすぐ隣の群馬県鬼石町には積石塚古墳がある。さらに、この周辺から群馬県西部にかけては渡来人、特に謎の古代氏族・秦氏にゆかりの深いエリアだ。
■謎の神獣への信仰を持ち込んだのは渡来人だった!?
秦氏に代表される古代の渡来人たちは機織りや馬の飼育、土木などの技術を我が国にもたらしたのは有名だが、もう一つ、鉱山や鉱物の精錬技術を持ち込んだ鉱山技術者、つまり「山の民」の顔もある。当然、彼らの信仰の対象は山。金鑚神社など名前からしてもろに鉱山を神聖化したものだ。
さらに、渡来人が大挙して日本列島にやってきたのは3世紀頃から。まさに『山海経』が成立した頃だ。もうここまでくれば読者の皆さんも、何が言いたいかおわかりだろう。山をご神体と崇める渡来人、彼らこそ古代中国で崇められていた「*神」を持ち込んだとしか思えないのだ。
ただ、長い年月を経て、その由来も不明になった時に、当時の日本でも最高クラスの知識人だった荻生徂徠が奇しくも「*神信仰」の源流をズバリ見抜いたということではないだろうか?
いずれにしても、さらなる取材にはまた7年後、2030年を待たねばならない。もしその時まで、編集部も電脳奇談のサイトそのものも生き延びていたら、取材ツアーを組むので、どうかご期待ください。
参考資料
『神か?獣か?*神降臨!』山梨県立博物館編
『山海経 中国古代の神話世界』高馬三良訳/平凡社ライブラリー
『中国の神獣・悪鬼たち 山海経の世界【増補改訂版】』伊藤清司著、慶應義塾大学 古代中国研究会編/東方書店