■ヒグマの狙いは食料から”彼らそのもの”へ!?

ヒグマは自分のエサを横取りした「敵」と彼らを認識したのだろうか?

(写真はイメージ)画像:Public Domain via Wikimedia commons

 リーダーのAを中心に5人は相談をして、サブリーダーの佐藤と最年少のCがハンターを呼ぶために九ノ沢カールを下ることになった。途中、佐藤とCは北海学園大学のパーティー(登山のグループ)に会った。じつは彼らも前々日の24日にヒグマの襲撃に遭い緊急下山をする最中だったのだ。

 

 事件当時、日高山脈のカムイエクウチカウシ山付近にいたのは彼ら福岡大のパーティーだけではなかった。縦走ルート上にはすでに撤退中だった北海学園大のほか、鳥取大学や中央鉄道学園など数多くのパーティーがいたのだ。北海学園大学のメンバーに事情を話してハンターの手配を依頼してから、佐藤とCは八ノ沢カールを登り返し、稜線を越えて仲間のもとへ向かった──。

 

 26日昼、佐藤とCはほかの3人と合流して、テントの修繕と夕食の準備を始めたのだが、またしてもヒグマが現れた(四度目の襲撃)

 

 Aがクマの様子を確認してから、彼らは自分たちのテントに再び戻ることをあきらめた。着の身着のままだったこともあり、稜線を挟んでヒグマのいる九ノ沢とは反対側の八ノ沢カールにある鳥取大のテントに避難するため山を下った。八ノ沢カールまでは山頂を経由しても2時間以上はかかるので、早めの行動をとったのだ。

 だが、もはやどのような行動をとっても手遅れだった。もはやヒグマの狙いは福岡大のテントや食料ではなく、”彼ら自身“を獲物として付け狙っていたのだ。

 

■日没が迫る山中で遂に犠牲者が……

 午後6時半。夏の北海道とはいえ、日没が迫っていた。そして、福岡大の5人の若者たちは気づいてしまった。すぐ後ろにヒグマが迫っていることに──。

 

 稜線から八ノ沢カールへ60~70メートル下ったところで、最後尾の高橋が振り返ると、ヒグマはパーティーの10メートルほど後ろまで迫っていた。恐慌に駆られ全員が一目散に駆け下りる。

 

 最初にヒグマが狙ったのは最年少のCだった。後に佐藤は「ギャー!」「ちくしょう!」というCの悲鳴と、クマに追われ八ノ沢カールの方向へと駆け下るCの姿を目撃したと証言している(五度目の襲撃)

 

 緊急事態である。リーダーのAが「全員集合!」と声をかけると佐藤と高橋は現れたが、遠くで声は聞こえたもののBの姿はどこにも見当たらなかった。3人が大声で助けを求めると、鳥取大パーティーは大きな火を焚き、ホイッスルを吹いてヒグマを追い払おうとしてくれた。だが、彼らにも危険は迫っていたので、鳥取大パーティーは先に撤退するしかなかった。

 

 すっかり日の落ちた斜面には福岡大の3人だけが取り残された。ヒグマの襲撃に怯えながらも離れ離れになったBやCのことが心配だった。しかし、すでに時間は午後8時ごろ。暗闇のなか行動するのは危険すぎると、3人は岩場に隠れて朝になるのを待った──。

 

■そして、惨劇の朝が明ける……

事件当日は目と鼻の先も見えないほど濃霧が立ち込めていたという。

(写真はイメージ)画像:写真AC

 明けて27日朝、BやCを探すために岩場からA、佐藤、髙橋の順に降りた。霧が濃く見通しの悪い中、すぐにヒグマが彼らの目の前に現れた。山の神ともいわれる猛獣の叫び声が山中にとどろく(六度目の襲撃)

 

 パーティーの先頭にいたリーダーのAがヒグマを押しのけて八ノ沢カールへと走るが、そのままAはヒグマに追われて濃霧の中へ姿を消した。

 

 佐藤と高橋はそのまま慎重にカールへと下った。非情なようだが、これ以上被害を増やさず助けを呼ぶためにも的確な判断だった。2人はその日の昼にやっと札内(さつない)川下流のダム工事現場に辿り着き、車で送られ駐在所で保護された。

 

 安否は絶望的なものの、山にはA、B、Cの3人が残されている。すぐにヘリコプターが救援に向かうが濃霧と乱気流のため捜索は中断。さらに運悪くそこでは週末に行事があったため、通常は2時間程度で多数の救護隊を集められたが、その日は4時間かかり、また相手がヒグマなので隊員の安全対策に時間を要した。28日からハンターや山岳関係者が昼過ぎから捜索を開始した。

 

■現場近くには家族も駆け付けたが……

 3人の家族も福岡から駆け付けた。捜索隊に加わりたかったに違いない。しかし慣れたハンターでもヒグマがいつ現れるかわからない場所に行くのは危険なので捜索隊には入れなかった。家族は祈るように山を見上げて泣きながら手を合わせていたという。

 

 そして29日昼過ぎ、AとCの遺体を発見、夕方には3人を襲ったヒグマが現れたのでハンターが射殺した。30日にはBの遺体も発見された。地元民にとっても先例のない熊害事件であったという。得体のしれないヒグマの襲撃を誰が予測できただろうか。

 

 そして、犠牲者の中のひとりであるBは、ヒグマに殺される直前にメモを残していた。佐藤、髙橋と合流できなかった彼はどこにいて何を書いたのか。そして、Bがこのメモを書いている最中、ヒグマは──。

 

参考資料
保存版「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」(昭和45年8月 福岡市七隈11番地
福岡大学体育会 ワンダーフォーゲル同好会)

https://yamahack.com/4450/2#content_17
朝日新聞DIGITAL「クマに死んだふりは有効か 8回襲われた専門家の教え」https://www.asahi.com/articles/ASNBT76GDNBRUTIL01Y.html
福岡大学ワンゲル部羆事件ドキュメント(北海道放送、1984年)