■公式記録や当事者の証言では…

 ただし、ブルース・ライトの証言は“事件”から約20年後に出版された書籍の中でのもの。前出の英軍の公式記録や日本軍の公式記録と言える『戦史叢書』に一切記述はない。また、ラムリー島の激戦と絶望的な撤退作戦を40ページにわたって当事者たちの声をもとにまとめた『渦まくシッタン』においても、一切「ワニに喰われた」という話は出てこないのだ。

 

 唯一、ワニの襲撃を匂わせるものは、前掲の『渦まくシッタン』や『戦史叢書』にある「クリークの中ほどまで行ったところで、突如、溺れた兵士が悲鳴を挙げ~」という記述だ。前述したイリエワニの襲撃手口を考えると、悲鳴を挙げた兵士は噛み付かれて水中に引きずり込まれた可能性は否定できない。

 

 とはいえ、1000人の日本兵がワニに喰われたという都市伝説は、従軍記者の“盛った”記事がきっかけというのが濃厚そうだ。

 

■ワニよりも恐ろしいモンスターは…

機銃を装備した小艦艇が日本兵を待ち構えていた (ラムリー島の水路を進む英軍) 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 ただ、この撤退作戦で対岸に辿り着いたのはわずか50名ほど、400~500名ほどはラムリー島に引き返したが、残る半数以上が命を落としたことに変わりはない(注5)

注5/一部は島内でゲリラ戦を続け、民間船で海を渡り帰還したという。また、中には終戦後までゲリラ戦を続けたツワモノも。

 

 史料によれば、脱出時の日本兵は「小銃一丁、手りゅう弾2~4個、浮き輪兼水筒の竹筒」などを持っただけの軽装でクリークの対岸を目指したという。しかし、その先にはワニより恐ろしいものが待ち受けていた──。

 

 再び『渦まくシッタン』によれば、クリークの中ほどでイギリスの小艦艇が待ち伏せしており、無防備な日本兵に情け容赦ない攻撃を加えたのだ(以下、同書の証言を載せる)

 

「サーチライトと照明弾で真昼のように照らされた海面を泳ぐ者の数がはっきりわかるくらいだった。猛烈な機銃掃射、砲撃を受け部隊は大混乱に陥った」

「溺れかけた者の悲鳴が聞こえたのか(中略)時を移さず機関銃火をあびせかけた。一瞬にして死傷続出。地獄の海そのものとなった」

 

 反撃のできない日本兵に一方的に機銃掃射や砲撃を加える。もはや戦闘ではなくただの虐殺だ。ワニの出る幕などなく、1000名におよぶ日本兵の大半を殺したのは、戦場の都市伝説を流したイギリス側の兵隊たちだったというわけだ……。

 

 第二次大戦において戦勝国側の残虐行為は表立って語られないだけで、珍しいものではない。特に米・英軍が息も絶え絶えの日本兵を虫けらのように殺す姿などは映像にも残っている。”ミンガン・クリークの虐殺”もまたその一つ。戦場の都市伝説の背後には、こんな恐ろしい話が隠されていたのだ。

 

【参考資料】
『戦史叢書25巻 イラワジ会戦-ビルマ防衛の破綻』防衛庁防衛研究所戦史室・編
『渦まくシッタン 鳥取歩兵第121連隊史』日本海新聞社・編
「The Battle for Hil 60」(BURUMA STAR MEMORIAL FUND) 
「日本に「野生のワニ」はいた?古事記のワニがサメとは言い切れない理由」石田雅彦/Yahoo!ニュース/2021年3月26日
「オーストラリアのイリエワニの管理について②/オーストラリアの野生動物保護政策」福田雄介/Wildlife Forum Volume24,issue2
『Wildlife Sketches: Near and far』Bruces S Wright(1962年)