■すべての生き物は「異なる世界」をもった知的生命体
すべての生物に知能があり、その生物としての世界でベストを尽くして生きている。そこには言葉があり、社会があり、人間とは違う文化や知恵があるのだろう。
生物が持つ固有の世界を、エストニア出身の生物学者にして哲学者、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは「Umwelt(ウンベルト)」と呼び、生物学者の日高敏隆はこれを「環世界」と訳した。ユクスキュルはマダニを一例に挙げている。
マダニは目がなく汗に含まれる酪酸に反応する嗅覚と触覚しかない。昼も夜もなく、音もない。酪酸の臭いがしたら、木から足を離し、運よく動物の背中に乗ったらそこで血を吸い、繁殖する。
マダニにとっては、音も光も意味がなく、ただ酪酸の臭いがするのをじっと待つのが彼らの環世界なのだ。だから彼らは待つことが平気だ。ドイツの研究所には、18年間ずっと動物を待ち続けたマダニが飼育されていたという。マダニの時間は人間のそれとはまったく違うことに驚かされる話だ。
違う感覚と時間の中で生きる無数の知性。それが互いに食い殺しあいながら均衡を保っているのが、この世界だ。そう考えると、かわいそうだ、人道的だというのもおこがましい気がする。
■「AIの環世界」と私たちの未来
環世界を調べているうちに、これから人類はAIという非生物の知性とともに生きていかなくてはいけないことに気がついた。
生物の環世界に比べると、AIの知性はあまりにも異質だ。彼らには地球上の全生物の目的である「生きて殖えること」がない。「死ぬこと」もない。見えている世界が違うとか生きる時間が違うとか、そんなレベルで違うのではない。彼らは生きてもいないし死ぬこともない。それなのに知性だけがポンとある。
AIとは目的なく永遠に存在する純粋な知性だけの存在だ。そんな知性の環世界……そんなものはこれまで世界にはなかった。それは、なんというか、とてもグロテスクだ。
私たちは「知性とは何か?」「生きるとは何か?」を問い返す時に来ているらしい。トランスヒューマニズム(超越人類主義)をご存じだろうか。人間とコンピュータを融合させ、人間が人間を超えようとする思想だ。昔でいうサイボーグだが、本気で唱える人も少なくない。
テスラ社のイーロン・マスクは、別会社のニューロリンク社で脳埋め込み型のチップを開発、いずれは人間の意識はクラウドですべてつながると発言している。人類がクラウド経由で巨大な一つの意識を共有する、そんなことを世界屈指の大富豪が本気で考えている。そして、その夢に賛同した世界の脳神経学者や工学者、ITエンジニアの生え抜き中の生え抜きがニューロリンク社に集まっているのだ。
そんな時代なのである。情緒的な動物保護も結構だが、動物を理解すること、環世界を知ること、知性を、命を、考え抜くことが必要なのだ。そうじゃないと、気がついたら、私たちは「AIの環世界」というおぞましい何かに接続させられてしまうだろう。今までだってそうだった、気が付いたらテレビを見て、気が付いたらスマフォを使っていたのだ。
今、占いタコのパウロくんが生きていたら、彼は人間とAIのどちらの箱を開けるだろうか。
※1 「Female impersonation as an alternative reproductive strategy in giant cuttlefish」(Mark D Norman The Royal Society 07 July 1999)
※2 「なぜ「タコは海のスーパーインテリジェンス」なのか」https://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_article_id=3289
※3 「Do bumble bees play?」(Hiruni Samadi Galpayage Dona Animal Behaviour Volume 194, December 2022, Pages 239-251)
※4 「The Intelligent Mind of an Insect」(Lars Chittka November 2022 INTERALIA MAGAZINE)
※5 鈴木俊貴 https://www.toshitakasuzuki.com/