■スラブ(がれき)の街はなぜ生まれたのか?

Slab City

写真に見えるコンクリートの巨大な板状の「スラブ」がこの街の名前の由来だ。

画像:サンディエゴ・リーダー1988年3月10日記事より

 そもそも「スラブ(≒がれき)の街」なんて奇妙な名前がついたのか? その理由は第二次大戦中の1942年にまで遡る。当時、ここには米海兵隊の「ダンラップ訓練キャンプ」という施設が設置されていた。その規模は25万エーカー。単純計算で1000平方キロメートル、東京23区がすっぽり入ってしまう広さだ。

 

 もっともそのほとんどは砲兵隊や対空部隊の訓練場や、爆撃機の射爆場。後にスラブ・シティと呼ばれる訓練所エリアは約640エーカー(約2.6平方キロメートル)ほどの敷地だ。終戦後の1946年には役目を終え訓練所は閉鎖。1956年頃までに土地はカリフォルニア州に返還され、訓練所の建物は解体されたのだが、基礎となる「コンクリートスラブ」は野ざらしにされていた。

 

 そして、このコンクリートのがれき(スラブ)が放置された荒れ地に、最初は海兵隊の退役軍人数人が不法に定住。さらに、キャンピングカーやテントで暮らす人々、特に冬の寒さを避けるため北部から渡り鳥のように放浪してくる人々「スノーバード」が集まってできたのが「スラブ・シティ」だ。

 

■全米からヒッピー、アーティスト、ジャンキーまで集合!

Slab City

最盛期には2000台を超すトレーラー・ハウスが集結したというスラブ・シティ。

画像:サンディエゴ・リーダー1988年3月10日記事より

 そして1980年代、戦前に創刊し今も続く老舗雑誌『Trailer Life Magazine(トレイラー・ライフ・マガジン)』や『RV MAGAZINE(すでに廃刊)』などに取り上げられたことで、カリフォルニアの砂漠の果ての街に一気に注目が集まる。80年代後半には、トレーラーハウスが2000台も集結していたとの報道もあるほど、一気にその名は広まっていった(注4)

注4/「Slab City and its neighborhoods: Poverty Flats, Niland Heights, Little Canada, Slab City Singles, and Drop Seven and Drop Eight」サンディエゴ・リーダー1988年3月10日記事
 

 トレーラーハウスの住人や「スノーバード」の人々の多くはリタイアした高齢者が多かったが、スラブ・シティの名が広まるにつれ、ヒッピーやアーティスト、ミュージシャン、スケーター、スクワッター(不法占拠者)が集まり、ある種のコミューンと化していった。そして、「どこの誰でどこから来た」など詮索されないことから、ジャンキー、犯罪者などあらゆるタイプの人間も集まってくるようになる。

 

Rusty-lee-jones

スラブ・シティの「市長」と呼ばれたラスティ・リー・ジョーンズ

画像:サンディエゴ・リーダー1988年3月10日記事より

 当時の“スラブ・シティの市長”と言われたラスティ・リー・ジョーンズは「この街の悪口は聞きたくねえなぁ…」とぼやいていたそうだが、次第にこの街は「不法占拠者の楽園」というありがたくない名前でも呼ばれるようになっていった。

 

■神の啓示で極彩色の山を築いた男

Leonard Knight
サルベーション・マウンテンを一人で造りあげたアーティストのレナード・ナイト。 画像:Facebook/Leonard Knightより

 しかし、冒頭に紹介した「奇妙な山」のお蔭で、次第にそんな悪名も忘れられ、観光スポットとしても人気の街に変わっていく。その‟作品”を生み出したのが、スラブ・シティの住民だったレナード・ナイト。朝鮮戦争からの帰還兵でもあった彼は「神が山を造れと啓示したんだ」と、1980年代半ばから、この「Salbation Mountain/サルベーション・マウンテン(救世の山)」を街の入り口に築き始めた。

 

 30年以上をかけて、時には山の横に置いたトレーラーの荷台で寝起きしながら、カラフルでポップな芸術作品を造りあげていったレナード。正面には「神は愛なり」という文字がデカデカと飾られ、後には内部もカラフルに彩色されたが、そのほとんどはレナードに共感した人々から寄付されたペンキで描かれたそうだ。

 

Salbation Mountain in the Night

サルベーション・マウンテンの神々しいほどの夜景。ただし、夜のスラブ・シティの治安は保証しないので自己判断で。

画像:Shutterstock

 サルベーション・マウンテンという前代未聞の芸術作品と、レナードの飾らない人柄は多くの人を魅了し、彼自身は名作映画『イン・トゥ・ザ・ワイルド』にも出演、また冒頭に紹介したように『GTA V』に登場するなど知名度も上がり、全米さらには全世界から観光客がスラブ・シティに押し寄せたのだ。

 

 誰がいつ来てもいいし、いつ去っても構わない「自由」と「フロンティアスピリット」と「神の愛(?)」を体感できる街が「スラブ・シティ」。現代で西部開拓時代のような「アメリカらしさ」を体感できる唯一の場所なのかもしれない。

 

 ただし、当然ながらこの街を訪れるなら全ては自己責任で。警察や病院など、行政サービスに助けてもらうことを期待してはいけないので、ご用心を。