■多くの信仰を集めるようになったヒルコ神
古代日本の漁村では、海の幸や漂流物を神からの贈り物と考えており、やがて神自身も海の向こうから渡来すると信じられるようになる。「来訪神」は村々で祀られ、やがてエビス神となる。エビス神は、もともと漁業関係の神だったのだ。
漁村の来訪神がいかにしてエビス神となったのかは諸説あるが、一説には海へ流されたヒルコと習合して全国に広まり、やがてエビス神に変化したとされている。タイをかかえて釣竿を持った姿は、海神だった頃の名残りなのだろう。
漁村の守り神だったエビス神が商業の神となったのは、市場経済が発達した室町時代のことだ。経済活動が活発になると、商人たちは商売を守護する神を欲するようになり、「市神」と呼ばれる市場関係の神が数多く生まれた。エビス神も漁業守護のご利益が注目され、商売の守護神として信仰を集めていく。その結果、江戸時代には商売繁盛の神として都市部で祀られるようになったのだ。
■ヒルコ/エビスにまつわる二つの伝承
兵庫県西宮市の西宮神社には、次のような言い伝えが残されている。
海に流されたヒルコは常世には行かず、摂津国(せっつのくに)の西浦(現西宮市)に流れ着いた。土地の人々はヒルコに外地からの来訪者を意味する「夷(えびす)」の字を与え、夷三郎と呼んで大事に育てた。成長した夷三郎は、やがて夷三郎大明神、戎大神(えびすおおかみ)として祀られるようになり、神の世界へと帰還して福の神になったと伝えられている。
またエビス神が漂着したとする神社は大阪府堺市にもあり、その一つは石津太(いわつた)神社だ。
「石津の磐山(いしづのいわやま)」にたどりついたエビス神は五色の神石を携えており、「石津」の名は「神石を置いた津(港)」が由来だとする。そのため石津太神社は「日本最古の戎社」を称している。さらに石津太神社から約1キロ離れた場所には石津神社があり、こちらにも同様の伝説が残されていて、もともとは両社が本社と分社の関係だったとする考えもある。
いずれにせよ、親に捨てられてしまったヒルコは、関西地方で数多く祀られる神となった。なお、イザナギとイザナミ兄妹のエピソードは、「国生み」から「神生み」へと続いていくのである。