植物は目も耳も鼻もなく、何も感じず何も考えない、動物とは違う機械のような生き物だというのがこれまでの考え方だった。機械だからバサバサ切り取り、燃やしたり切ったり食べたり何も抵抗がなかったが、そうではないのだ。植物には感覚があり、意識もあるらしいのだ。
■痛みを感じないと権利がないだって!?
「生き物に意識があるかどうか?」の基準に「痛み」がある。意識があるから痛みがある。痛みがなければ意識はない。
この基準があったために、魚が痛みを感じるかで学術界は揉めに揉め、ネズミや犬は人間より痛みを感じないことで実験動物の利用が正当化された(※1)。問題は脳であり、魚やネズミは痛みを処理するほど脳が発達していないと考えられた。痛がるように見えても、それはただの反射で、痛みは感じていないというのだ。
※1「Assessment of Animal Pain in Experimental Animals」(Laboratory Animal Science. 37 (SpecialIssue), 71-74, 1987)
動物には人間から危害を与えられない権利があるとする動物の権利=アニマルライツも、その生き物が痛みを感じるかどうかが基準になっている。痛みを感じない生き物には、アニマルライツはない。逆に痛みがあるのなら、どんな生き物にもアニマルライツはあるとされる。
■赤ちゃんは痛くないから麻酔ナシで手術!?
2021年11月19日、イギリス政府は新たにタコやカニなど11種類の生物を動物福祉法案で感覚をもつ動物に分類した。タコやカニは痛みを感じるので、苦しめないように殺し方に手順が必要になったのだ。タコやカニを食べる日本人としては、イギリス人って……と呆れかえるが、イギリス人からすれば、日本人こそ意識の低い蛮族なのだろう。
意識があれば殺してはいけない、意識があれば殺してもいい、この“痛みあるなし分別法”は、時として恐ろしい間違いを起こす。
「赤ん坊は痛みを感じない」と信じられていたことをご存じだろうか。学術の世界では1987年に臨床試験で証明されるまで、赤ん坊は痛みを感じないと真顔で言われていた(※2)。麻酔薬を使うことで新生児が死亡する危険があることに加え、新生児は脳が発達していないため、痛みを感じることはないと考えられたからだ。
※2「Infants' Sense of Pain Is Recognized, Finally」(Newyork Times Nov. 24, 1987)
そのため、手術台で暴れないように筋肉が動かなくなる筋弛緩剤を打たれただけで、開胸手術が行なわれた。赤ちゃんは薬で動けなくされ、麻酔なしで肋骨を切断され、心臓を切られたわけだ。そんなのはただの拷問である。
■植物に意識はあるのかないのか
植物に意識はあるのだろうか? 前編で紹介したトマトとタバコの実験のように、水がない、茎が折れるなど生存の危機に遭った植物は超音波で叫ぶ。しかも、その叫びを聞いた他の植物は防御体制に入る。だが、植物のこうした反応は、機械と同じなのだろうか。それとも茎を折られた植物は痛みを感じ、超音波の悲鳴を上げているのだろうか。
「植物は私たちと同じように泣き叫ぶんだ」
という主張には、常識が揺さぶられる面白さがある。しかし、面白いからといって、事実とは限らない。
植物は動物とは違って、五感もなければ痛みもなく、感覚のない生き物で、意識もないと考えられてきた。だから一部の過激な動物愛護運動も、殺される動物の痛みを思い知れと肉屋にペンキを投げても、八百屋にトマト缶を投げたりしない。痛みを感じない植物に、植物の権利=プラントライツはないからだ。
植物には痛みどころか感覚が一切ないし意識もないのだから、殺されるという恐怖もなく、食べて問題なし。動物相手に大騒ぎの彼らも、「植物は食べ物」は一切疑わない。
新生児の例を挙げるまでもなく、痛みは意識のあるなしを表すひとつの基準でしかないだろう。茎を折られたトマトが叫ぶなら、痛みはなくても意識はあるかもしれない。
もし将来、アニマルライツならぬ「プラントライツ」が認められるとしたら、植物にも五感があることが条件となる。外のことがまったくわからないのに、そこに意識が生まれるとは考えにくい。そして 五感から得た情報が高度に処理されなくてはならない。意識がないと行なえないようなこと、たとえば外敵から身を守ったり、仲間と協力して行動したり、といったことができて初めて意識があるとみなされる。
もちろん植物には脳はないが、もしかしたら私たちと植物があまりに違うから見つけられないだけで、意識を生み出す植物独自の仕組みがあるのかもしれない。