約1000年前から今まで、熱烈な読者を増やし続けている『源氏物語』。今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』は、『源氏物語』の作者である紫式部(演・吉高由里子)を主人公にしている。ちなみに、紫式部の「紫」は『源氏物語』のヒロイン「紫の上(むらさきのうえ)からとり、「式部」は紫式部の父の役職「式部丞(しきぶじょう)を指していて、史実では紫式部の本名は知られていない。

 

 日本でもっとも知られた小説の作者にもかかわらず、本名や生没年など数々の謎に包まれていることから、紫式部には数々の伝承が生み出された。そして、その中には「死後、地獄に落ちた」という怪伝説も残されているとか。いったいなぜだろうか……?

 

■『源氏物語』が描いた平安時代の恋愛事情

源氏物語

『源氏物語』五十四帖の第三巻にあたる「空蝉」を描いたもの

画像:安藤広重, Public domain, via Wikimedia Commons

『源氏物語』は、帝の寵愛した更衣(注1)の息子で光り輝くような美貌をもって生まれた光源氏が、数々の女性と浮名を流す物語である。そしてまた、平安時代の貴族の常識についても描かれている。

注1:読みは「こうい」。帝の妻の位。位の高さは、皇后、皇后と同等の中宮、女御、更衣という順である。どの位になるかは、父親の地位の高さも影響する。

 

 たとえば平安時代、貴族より民のほうが圧倒的に多いにもかかわらず、貴族社会の中でも貧富の差があり、高貴な貴族の男性の正妻になれるのは、ごく一部の高貴な女性だけだった。ほかはすべて妾(めかけ)扱いなのだが、一般常識として、貴族の男性は妻のほかに複数の妾を持つものだったようだ。

 

 また、貴族の女性は夫以外には顔を見せずに生きているため、貴族の男性は和歌のやりとりを経てから、もしくは突然夜這いをすることも珍しくなかった。光源氏は帝の息子ではあるが、すでに東宮(注2)の兄がいたため臣下にくだり(注3)、自由に女性たちのもとへ行き来できたのだ。

注2:天皇の跡継ぎ(次の天皇)。現在は皇太子と呼ばれている。本来は皇太子の住む宮殿のこと。それが転じて皇太子そのものを指す意味に。
注3:臣籍降下。継承権のある皇族の身分を離れ、「源氏」の姓を与えられる。だから、光「源氏」ということ。

 

 今なら「サイテー」と言われそうな光源氏だが、当時の常識にのっとって生きていて、一度でも情交のあった女性に経済的な支援をするやさしさもある人物として、紫式部は好意的に描いている。

 

■紫式部は地獄行き、いや観音様だと大論争

『源氏物語』は大人気を博したのだが、次から次へと浮名を流す主人公の設定は、当時の仏教の教えでは淫らであるととらえられてもおかしくなかった。しかも、フィクション、つまり小説自体が「虚言(ウソ)」や「妄語」を厳しく戒める仏教的な観点からは良くないものとされていたという。

 

 実際、『源氏物語』から約200年後、平安末期から鎌倉時代初めにまとめられた仏教説話集『宝物集(ほうぶつしゅう)(注4)では、紫式部は「虚言で人々の心を惑わした罪で地獄に落ちた」と批判されている。

注4:平安末期の武士で歌人、平康頼がまとめたとされる。著者の康頼は出世したり島流しにされたり帰京して仏門に入ったりと忙しい人生。

 

地獄

同じ平安時代にまとめられた「地獄草紙」の一枚。こんなところに紫式部が!?

画像:Public domain, via Wikimedia Commons

 この状況を現代の推し文化にたとえてみたい。推しがスキャンダルになった時、「どうか許してあげてほしい」と声をあげるファンは数多くいる。SNSのなかった1000年も前になると、『源氏物語』ファンは紫式部を地獄から救うため、写経をしたり、祈りを捧げたりと、仏に助けを求めていたそうだ。

 

 コアなファンになると正反対の言い分も出てくる。源氏物語に魅せられた人々の一部は、ただの人がこんなに素晴らしい物語を紡げるはずはない、フィクションも諸行無常(注5)を人々に教えるためのものであり、紫式部は観音さまの化身だったのだと言い出した。

注5:この世のものはたえまなく変化し続けているという仏教の根本思想の一つ。

 

■実話怪談めいた謡曲「源氏供養」の展開

石山寺

謡曲「源氏供養」の舞台となった石山寺(滋賀県大津市)は紫式部が『源氏物語』を執筆した場所としても知られる。

画像:663highland, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

 現代の視点からすると、どちらも極端でありえないと感じてしまうだろう。しかし、この平安末期の『源氏物語』や紫式部ファンの活動は「源氏供養」と呼ばれる文化的ムーブメントとなった。そこから生まれた能の謡曲『源氏供養』はこんな筋立てだ。ある僧が石山寺に向かっていると女性(実は紫式部の亡霊!)が現れ、

 

「『源氏物語』の主人公である源氏を供養しなかったせいで成仏できない、石山寺で供養してほしい」

 

 と語り、僧が約束すると女は「石山寺で会おう……」と言い残し消える。その日の深夜、僧が供養と菩提の弔いを行なっていると、女官姿の紫式部があらわれ、感謝して舞いながら去っていった──と怪談めいた展開で、さらに実は観音菩薩の化身だったというオチもつく。

 

 なお、この謡曲では『源氏物語』の長さは六十帖あったと書かれているが、今は五十四帖しか見つかっていない。残る六帖はどこか。紫式部が地獄に落ちる際、一緒に持って行ったのかもしれないという電脳奇談的な想像が膨らんでしまうところだ。

 

■紫式部と藤原道長が地獄で再会?

藤原道長

光源氏のモデルとされる藤原道長。

画像:紫式部絵巻/藤田美術館所蔵,Public domain, via Wikimedia Commons

 最後に大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部の運命の相手として、平安時代中期の最高権力者である藤原道長(演・柄本佑)が登場することに触れておきたい。本作では、愛し合っていても紫式部は高貴な道長の正妻になれず、彼の妾になることを拒んで別離するというエピソードがすでに放送されている。

 

 史実では、後年、道長は栄華を極めたため、地獄に堕ちることを恐れて出家したそうだ。今の世では一緒にいられない藤原道長と紫式部が共に地獄へ堕ちたのなら、ふたりの恋の成就を夢見ていた『光る君へ』の視聴者もまた救われるかもしれない。

 

【参考文献】
『NHK2024年『大河ドラマ「光る君へ」完全読本』(NIKKO MOOK/産経新聞出版)
『源氏物語 1~4』(角田光代・訳/河出文庫古典新訳コレクション/河出書房新社)
京都・宇治 式部郷 源氏物語の里【54】紫式部の地獄堕
https://www.shikibunosato.com/f/monogatari54
日本史資料室 平安時代・鎌倉時代の人物 藤原道長
https://history.gontawan.com/human-fujiwara-michinaga.html