■欧米では「謎のノイズ」とされる夏の風物詩

せみしぐれ

セミの大合唱は日本では夏の風物詩だが……。

画像:Shutterstock

 セミに関する誤解の一つが「地上に出たら7日ほどの短い命」というもの。最新の研究では1カ月ほど頑張って交尾をし、卵を産んで次世代を残すのだという。いずれにしても短いもので3年、長いものでは20年近くを地中で過ごし、最期の時だけ地上に姿を現す奇妙な生き物だ。

 

 そして、もう一つの大きな誤解が「セミの声に季節や風情を感じる」のが世界共通の感覚だというもの。残念ながらそんなものを感じるのは日本ぐらいで、世界中のほとんどの人は「謎の音」や騒音程度にしか感じないらしい。たとえば「蝉時雨(せみしぐれ)」といえば、俳句で夏の季語でもあるお馴染みの言葉。一斉にセミが大合唱する光景や音は「夏が来たな~」と強く感じさせる。しかし、ところ変われば、この風情ある音も「正体不明の騒音」になるらしい。

 

 たとえば、日本アニメの夏のシーンを観た欧米の視聴者が「なんだ、このノイズ音は!?」と蝉時雨の演出に困惑するんだとか。一応、ヨーロッパや北米大陸にもセミの仲間は棲息しているが、その声を愛でる文化はないようだ。ただし、北米大陸では「ある周期」で蝉時雨どころか、ジェットエンジンの爆音なみのセミの大合唱に襲われることがある。

 

■221年ぶりに起こった「周期ゼミ」の大量発生

周期ゼミ

素数ゼミとも呼ばれるセミの一種。写真は17年周期で羽化するジュウシチネンゼミ。

画像:Katja Schulz from Washington, D. C., USA, CC BY 2.0 , via Wikimedia Commons

 北米大陸の米国中西部から南東部にかけては、13年または17年に一度、セミの大量発生が起こる。大量発生を起こすセミはその奇妙な生態から「周期ゼミ」、あるいはそれぞれ「ジュウサンネンゼミ」「ジュウシチネンゼミ」の名で呼ばれる。また、13と17が素数であることから「素数ゼミ」の通称でも知られる。ただし、実際にはMagicicada 属というグループに属する複数の種のことを指しているそうだ。

 

周期ゼミ

【注意・ややグロ】「セミの大群」というイメージの遥か斜め上いく大量発生の状況。

画像:James St. John, CC BY 2.0 , via Wikimedia Commons

 そして今年2024年の夏、米国では221年ぶりに2つの周期ゼミ「ジュウサンネンゼミ」と「ジュウシチネンゼミ」の発生が重なり、とんでもないセミの大量発生が起こっているのだ。報道では、中西部や南東部ではなんと1兆匹にもなるというセミの大群が一斉に出現。その騒音たるや100デシベル超、つまりジェット機のエンジン音並みの轟音だという(注1)

注1/「〈激写〉221年ぶりに大量発生した何十億匹もの周期ゼミ、ナショジオの写真家がとらえた」2024年6月11日ナショナルジオグラフィック日本版記事より

 

 221年ぶりの一大イベント(?)ということで、セミを模したクッキーや記念Tシャツが販売されるなど話題になっているが、セミに慣れていない米国人の中には、突然、大量出現したセミの鳴き声に怯える人もいるという。

 

幻覚キノコの成分でセミを支配する「ゾンビ菌」

 一説には、周期的に大量発生することで天敵や寄生虫により死ぬ確率を下げるため、こんな奇妙な生態をもったとされる周期ゼミ。だがそんな涙ぐましい生存戦略を練ってきた彼らに今、恐ろしい悲劇が訪れている。なんと感染するとココロとカラダを乗っ取られ、死ぬまでセックスし続けるゾンビと化す、不気味な菌に狙い撃ちされているのだという。

ゾンビゼミ

セックスゾンビ菌に寄生された哀れな姿。この状態でも飛び回るのが恐ろしい。

画像:G. Edward Johnson, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

 米国の周期ゼミの中でも「ジュウシチネンゼミ」を狙い撃ちして猛威を振るっている「セックスゾンビ菌」ウェストヴァージニア大学の研究チームによれば(注2)、この菌は幼虫が地中で育っている時に感染し、地上に出たところで‟発芽”するのだという。しかも感染するのは決まってオスの腹部や生殖器(!?)。地上で活動を開始するとマジックマッシュルームと同じ幻覚成分シロシビンを出して宿主をコントロールするという。

注2/「ゾンビゼミの帰還|感染したセミを操り人形と化す真菌の能力を発見/Return of the zombie cicadas: WVU team unearths manipulative qualities of fungal-infected flyers」2020年7月27日WVU TODAYの記事より

論文出典:「Behavioral betrayal: How select fungal parasites enlist living insects to do their bidding | PLOS Pathogens

 

■メスのふりをさせ次の宿主を誘い込む

セックスゾンビ菌

セックスゾンビ菌に浸食された患部。白いのはすべて胞子なのだという……。

画像:megachile, CC0, via Wikimedia Commons

 そして、ここからがB級ホラー映画も真っ青の展開。感染したセミは、腹部と生殖器をはじめカラダの3分の1ほどは菌に食い荒らされ失ってしまう。その代わりに菌の胞子の塊が「義体」をつくり出す。さらに、メスの羽ばたきを真似させオスを誘き寄せひたすらセックス(正確には疑似セックス)をさせ、次の宿主へと感染させるのだ。

 

 アソコに取り憑いた菌に支配され、メスのふりをして死ぬまでセックスし続けるゾンビと化す──もう、男性読者はカラダのどこかがキューっと縮み上がりそうな話だが、このとんでもない邪悪な菌、名前をマッソスポラ・シカディナ(Massospora cicadina)といい、ハエ類に寄生し殺す「ハエカビ」の一種だ。


 発見自体は意外に古く19世紀末にまで遡るが、発見から100年以上が経過した現在まででも12種類しか発見されていない希少種だ。しかも、それぞれ特定の1種のセミにしか寄生しないという奇妙な生態をもっている。日本でも東京都練馬区のニイニイゼミ、小笠原諸島・母島のオガサワラゼミなどから発見された例がある。

セックスゾンビ菌「マッソスポラ」に感染し、腹部が落ちたまま動くセミの様子。

 

 ちなみに、昆虫の体に感染して宿主を殺してしまう菌類は多く存在する。中国ではセミや蛾、アリなどに寄生するきのこ「冬虫夏草」が漢方薬の原料として重宝されている。冬虫夏草が良く採取されるチベットの農村部の人にとっては蛾の幼虫から生えた冬虫夏草が、現金収入の40%を占めているという。

冬虫夏草

中国・蘭州の市場で店頭に並ぶ冬虫夏草。なお、こちらも「勃起薬」として有名。セックスゾンビ菌もあるいは……。

画像:Luekhope Tsuchoi 2000, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 

■十数年の苦労の末が…ああ無常

紫式部

紫式部が「セックスゾンビ菌」のことを知っていたら、どう描いたのやら。

画像:土佐光信・画/紫式部, Public domain, via Wikimedia Commons

 セミはその生態から中国では生き返り、復活と再生の象徴として扱われてきた。また、日本でも「人生のはかなさ」を象徴するものとして描かれてきた。代表的なのが源氏物語の第3帖(第3巻)の巻名に使われた「空蝉(うつせみ)」。そもそもはセミの抜け殻を指す言葉だが物語では、大河ドラマ『光る君』で描かれる紫式部のモデルとも言われる流転の人生を送った女性を指している。

 

 こうして「現世は無常である」という意味合いで使われることもあるセミだが、十数年の長い時間を地下で耐え忍び、やっと出てきたところでゾンビ菌に感染してしまうなんて、なんとも無常(無情)な話である。