■ブーム再燃の「シン・日本古代史」?

※都市伝説系YouTuberの代表格、コヤッキースタジオでも「竹内文書」は大人気のテーマだ。

 

 現存する日本最古の歴史書は『古事記』であり、その次が『日本書紀』だ。この2書を総称して「記紀」ともいう。だが世の中には、「記紀」に記された神話以前の歴史を物語るとする「超古代文書」が存在する。その中で、YouTubeやTikTokで動画が100万回再生されるなど、ブーム再燃と噂されているのが、「竹内文書(たけうちもんじょ/たけのうちもんじょ)である。

 

 竹内文書の内容は、大きく分けると「宇宙誕生から日本が形成されるまでの世界」「天皇の治世下で修行をする神々」「暗黒時代による世界滅亡と神武天皇による世界再生」までが描かれている。

 

神代文字
「原・竹内文書」というべきものは、この神代文字で記されたという。 画像:大日本天皇國太古代上々代神代文字之卷(「天津教古文書の批判」狩野亨吉(1936)より)

 もともとは「神代文字(かみよもじ/じんだいもじ)という日本の古代文字とされるもので書かれたようだが、それを武内(竹内)宿禰(たけのうちのすくね)の孫と伝えられる平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字とカナを交じりに再編。平群真鳥とは、雄略・清寧・顕宗・仁賢天皇に大臣として仕えたとされる伝説上の人物である(注1)

注1/仁賢天皇の子である武烈天皇にも仕え、その武烈帝の勅命で文書をまとめたという説もある。

 

竹内巨麿

武内宿禰や平群真鳥の末裔を自称した竹内巨麿。信者数1万人を超える宗教団体の教祖でもあった。

画像:長峰波山『明治奇人今義経鞍馬修業実歴譚』(1912)より。 Public domain, via Wikimedia Commons

 そして、この竹内文書を代々伝承したというのが、真鳥の末裔を称する赤池大明神竹内家。その養子にして皇祖皇太神宮天津教(天津教)開いた竹内巨麿(たけうち/たけのうちきよまろ)がこの書を発見し、1911年(明治44)に公表した(注2)

注2/「竹内文書」の公開年に関しては、1928年(昭和3)頃から、あるいは1935年(昭和10)など諸説あるが、1900年(明治33)に巨麿が天津教の元となる御嶽教天都教会を立ち上げた頃から「神宝」として少しづつ公開されていったものと推測される。

 

 このとき世に出されたのは書物だけではなく、神剣や鏡といった神器のほかに、古代天皇の骨からつくったという触れ込みの「神体神骨像」や謎の金属である「ヒヒイロカネ」、さらには、なぜかモーゼの十戒石も含まれていた。その数は実に数千点だったという(注2)

注3/文書だけでなく、これらの遺物を含めて「竹内文献」とも呼ばれる。

 

■インフレしすぎな「竹内文書」の世界観

モーゼの十戒石

竹内家に神宝として伝承されたとされる「モーゼの十戒石」。第二十戒石とも、裏十戒石とも呼ばれる。

画像:酒井勝軍, Public domain, via Wikimedia Commons

 竹内文書の特徴といえば、トンデモないスケールの世界観だ。まず、この書における宇宙誕生は、なんと紀元前3175億9500万年前。ちなみにビッグバンが起こったとされるのは今から約139億年前と言われている。竹内文書に従えば、宇宙誕生自体が20倍以上さかのぼってしまうというのだから驚きだ。

 

 そして、2000億年前に初代天皇「天土身一大神(あめつちまひとつのおおかみ)が黄人、白人、黒人、赤人、青人の「五色人(ごしきじん)をつくり、それらが現在の人類すべての祖先となった、としている。ちなみに初代天皇の治世は約160億60万年。「原・竹内文書」というべき文書ができたのは約20億年前だとしている。恐竜どころか、植物すら地上に進出していない。

 

 トンデモ世界観は数字だけではない。古代の天皇は天空浮船(あめのうきふね)というある種の宇宙船で世界中を旅しては文明を作り、各地の神や聖人たちは天皇にひれ伏し日本で修行に励んだという。その面子は、キリスト、釈迦、孔子などなど。まさに世界宗教のオールスター。しかもキリストは日本で死に、ゴルゴダで亡くなったのは影武者の弟とした。

 

 世界文明は日本が起源で、仏も聖人もみんな天皇の弟子……徹底的な日本至上主義の世界観は、「日本スゴイ」話を広めるYouTuberも裸足で逃げ出すほどだろう。

 

 

■軍部と結びつくものの一転、弾圧に

竹内巨麿

写真中央が竹内巨麿。海軍軍人で公爵の一条実孝や有馬良橘海軍大将の姿も。

画像:皇祖皇太神宮拝観記念写真(1928年) 藤原明『幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿 超国家主義の妖怪』(2019)より, Public domain, via Wikimedia Commons

 そんな竹内文書は後の総理大臣で陸軍のエリートだった小磯国昭や時の海軍大将で明治天皇の侍従も務めた有馬良橘をはじめ、軍部や政財界からも熱烈な信奉者を集め、巨磨も天津教の布教に利用していた。そのうえ人気が最高潮となったのは軍国主義の最盛期だ。大日本帝国を「神国」ととらえ、天皇を「現人神」と神格化する一部の軍人や右翼にとって、竹内文書の内容は好都合だったといえよう。

 

 とはいえ、当時の「皇国史観」の基礎となる「記紀」を否定する竹内文書は、国による厳しい取締まりを受けるはめとなる。竹内巨麿は不敬罪で逮捕。竹内文献は証拠品として学者達に鑑定されたが、結果は満場一致で「デタラメ」の判定が下る。トンデモにトンデモを重ねた内容はもちろん、現在の地名をもじったと知名があったり、現代語が混じっていたりと、偽造の臭いがプンプンしていたのだ。

 

 さらに、「竹内家の養子」という巨麿の出自も、特別高等警察(特高)の調べでただの自称だということがわかった。巨麿の不敬罪疑惑は1944年の大審院(現在でいう最高裁判所)の判決で無罪となったが(注4)、竹内文書は返還されないまま空襲で遺物もろとも失われてしまったという。

注4/無罪判決の理由が「この事件は裁判所の権限を超えた宗教上の問題」と、なんとも不可解なものだったことが記録に残っている。

 

■戦後、そして現在も不死鳥のように甦る竹内文書

熊沢天皇

後亀山天皇の末裔として南朝の正統を主張した熊沢天皇こと熊沢寛道

画像:朝日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons

 ところが、竹内文書は戦後になって息を吹き返す。終戦直後、「熊沢天皇」を名乗り、正当な皇統である南朝の皇位継承者を自称した熊沢寛道が、1947年の選挙で「竹内文書は、もともと我が一族に伝わっていた家宝が盗まれたもの」と発言して物議を醸し、60年代から70年代にはオカルトブームに乗って、たびたび竹内文書が取りざたされている。

 

キリストの墓

青森県戸来村(現・新郷村)で竹内巨麿や酒井勝軍が「発見」したキリストの墓。近くには身代わりとしてゴルゴだの丘で死んだ弟・イスキリの墓も。

画像:thor hestnes, CC BY 3.0 , via Wikimedia Commons

 また、80年代末から90年代にかけて、オウム真理教の麻原彰晃は竹内文書に登場するヒヒイロカネを信者達とともに捜索。「キリスト日本死亡説」も青森県戸来村(現・新郷村)の町おこしに活用され、日本中から観光客が訪れるぐらい定着した。

 

 さらに、2010年代に入り、武内(竹内)宿禰の73世の末裔を自称する歴史研究家で作家竹内睦泰氏「正統竹内文書」の存在を明かし、再び注目を集めた。ただ、すべては口伝であることに加え、惜しくも竹内氏が2020年に急逝したことで、「正統」の全貌は明らかになっていない。

 

 こうして戦前から現代のネット空間に至るまで、たびたび注目を集めている「竹内文書」。次から次と「新たな謎」や「新解釈」が明らかにされ、今後もオカルト業界をにぎわせ続けるだろう。

 

【参考資料】
『古史古伝入門』佐治芳彦(トクマブックス/徳間書店)
『超新論 古史古伝』佐治芳彦(超知ライブラリー/徳間書店)
『日本超古代史が明かす神々の謎』鳥居礼(日本文芸社)
『日本超古代文明のすべて』佐治芳彦(日本文芸社)
『「古史古伝」と「偽書」の謎を読む』「歴史読本」編集部(新人物往来社)
『徹底検証古史古伝と偽書の謎(別冊歴史読本78)』「歴史読本」編集部(新人物往来社)
『日本古代文学入門』三浦佑之(幻冬舎)
『偽史冒険世界:カルト本の百年』長山靖生(ちくま文庫)
『偽書の精神史』佐藤弘夫(講談社選書メチエ)