■セシル・ホテルの呪われた歴史

スキッドロウ

2006年頃のロサンゼルス、スキッドロウの様子(サン・ジュリアン通り)。

画像:Jorobeq at English Wikipedia, CC BY 2.5 , via Wikimedia Commons

 ロサンゼルスのダウンタウンにあるセシル・ホテルはいまからちょうど百年前の1924年12月20日に、ビジネス客や観光客向けの高級ホテルとして建設された。14階建てで客室数は約700室。ステンドグラスの窓、豪華な大理石のロビーを備え、完成には当時の金額で150万ドル(現在の貨幣価値で約40億円)の費用がかかったという。

 

 しかし、1930年代の世界恐慌でホテル周辺の街が荒廃。「スキッド・ロウ(≒ドヤ街)」(※1)と呼ばれるようになった周辺地域にはホームレス、薬物中毒者が多く集うようになり、貧困層やギャングによる殺人、強盗、暴行、薬物売買などの犯罪が多発する場所になってしまった。

※1 ロサンゼルスの中心街ダウンタウンのさらに中心部にある一角で正式名は「セントラルシティ・イースト」。枕木(スキッド)を敷き詰めた道路から、この名が付いたとされる。19世紀末から季節労働者が集まり始め、彼ら向けの簡易宿泊所が林立するようになった。

 

 そんな街にそびえ建つセシル・ホテルはいつしか犯罪者、薬物中毒者らの巣窟に。料金の安さから、長期滞在する客も多く、なかには30年以上住んでいる”常連”もいたという。そんな事情もあり、たびたびアメリカ中を揺るがす大事件の舞台となったのだ。Netflixのドキュメンタリー内で、ホテルの支配人を務めた女性は、

 

「常に人が死んでいた。2007年~2017年の10年だけでも80人以上の宿泊客が死亡した」

 

 と証言している。次項で簡単にこの「呪われたホテル」で発生した怪死や陰惨な事件についてまとめよう。

 

■セシルホテルで起きた怪死事件

1927年1月22日

記録に残る最初の事件。50代の男性宿泊客、パーシー・オーモンド・クックが拳銃で頭部を撃ち抜き自殺。

 

1930年代〜50年代
宿泊客の自殺が多発。

 

1944年9月

交際相手と長期滞在中だった19歳のドロシー・ジャン・パーセルが滞在中に妊娠していたことに気づかず、また交際相手にも言い出せないまま臨月を迎え、バスルームで密かに出産。後の証言で「赤ちゃんは死産だった」と思い、新生児を窓から投げ捨たという。赤ん坊は隣りのビルの屋上に落下し死亡。ただし、パーセルは精神的に不安定であったとされ、無罪を言い渡された。

 

1962年10月12日

宿泊客で27歳の女性、ポーリーン・オットンが、部屋を訪ねてきた別居中(離婚していたとも)の夫と口論の末、同ホテル9階の客室から投身自殺を図った。運の悪いことに、彼女はちょうど下の歩道を歩いていた近所の住人ジョージ・ジャンニーニ(65歳)を直撃、両者ともに死亡した。捜査当局は当初、通行人ジャンニ―ニとオットンの無理心中と誤認したという。


1964年6月4日
元電話交換手で長期滞在者だったゴールディ・ロジャー・オズグッド(65歳)の遺体が自室で発見される。彼女は近くの公園でよく鳩にエサを与えていて「ピジョン・ゴールディ(鳩のゴールディおばさん)」として有名だった。自室は荒らされ、遺体には殴打、刺創、強姦の痕があった。事件直後に血まみれで徘徊していた男が犯人として逮捕されるが、後に嫌疑不十分で釈放。事件は未解決のままだ。


1984年~1985年
1984年6月から逮捕される翌1985年8月までの約1年間、ロサンゼルス郊外で13人を無差別に殺害し、「ナイトストーカー」と呼ばれた連続殺人犯リチャード・ラミレスが滞在。ラミレスは故郷のテキサス州を出た後、スキッド・ロウの安宿を転々としていたという。なお、まさに事件の渦中、セシル・ホテルの最上階に数週間滞在していたという証言もある。

 

1990年代〜2000年代
1970年代に殺人罪で収監中に作家となった、オーストリア人のヨハン・“ジャック”・ウンターヴェーガーが、1991年にセシル・ホテルに滞在。オーストリアの雑誌によるスキッド・ロウやセシル・ホテルの取材が目的だった。ウンターヴェーガーは後にヨーロッパ各地での連続殺人が発覚するのだが、この取材中にも、ロサンゼルスの売春婦3人をレイプの末殺害したことが判明した。後にウンターヴェーガーは収監中の刑務所で不可解な自殺を遂げる。

 

2000年代以降

前述の元支配人の証言のように、2007年~2017年だけで80人以上が不審死を遂げている。

 

2013年2月19日(遺体発見時)

エリサ・ラム事件発生(前述)。

 

2015年6月13日

身元不明の男性(28歳)がホテルから転落して死亡。

 

セシル・ホテルの怪事件の関連写真は次ページで(7枚)

 

■流転の運命を辿る「呪われたホテル」

 こうしたおぞましい歴史を払拭しようと、2011年には一部フロアが「ステイ・オン・メイン」に改名され、セシル・ホテルとは別のホテルとして営業開始した。実は、エリサ・ラムが宿泊し、不可解な事件に巻き込まれたのは、この「ステイ・オン・メイン」で、彼女はそこが悪名高きセシル・ホテルだとは知らなかったのである。

 

 その後も、ホテルは転々とオーナーが代わり、2017年には当時のオーナーにより大規模改装のため完全閉鎖された。また同年に、ロサンゼルス市議会がセシル・ホテルを歴史的文化記念物に指定。4年以上改装工事を理由に立入禁止になった末、不可解な怪死事件が相次いだこのホテルは2021年末、民間資金によるホームレス向けの支援住宅団地に改装された。

 

 これでやっと「呪われたホテル」も再生したかと思われたが、今年2024年3月、再び売りに出されていることが発覚。住民やホテルの行く末が心配されている。アメリカの負の歴史を体現し、10年で80人以上の宿泊客が死亡した「呪われたホテル」。その廊下や天井には、不遇の死を遂げた人々の霊魂がこびりついたままのだ……。