■マクリーン夫妻を襲う呪い

 

マクリーン夫妻

マクリーン夫妻と長男。この後、彼らを悲劇が襲うことに……。

画像:米議会図書館,Public Domain, via Wikimedia Commons

 特約期間が過ぎても身の回りで不慮の事故が起きなかったことに安心したのか、ホープダイヤモンドを購入したマクリーン夫人のエヴァリンは、ダイヤを肌身離さず身につけ、社交界のパーティなどでたびたび披露。なんとも悪趣味なことに、飼っていた犬の首輪につけていたこともあったという。

 

 ただし、伝説によれば、その後は悲惨のひと言。次々とマクリーン夫妻を悲劇が襲う。

 

 ホープ・ダイヤモンドを購入した翌年、夫・エドワードの母が、4年後には父が相次いで死亡。さらに購入から7年後には2人の長男が9歳で自動車にはねられて不慮の死を遂げる。エドワードはショックから酒と女に溺れて別居。結局、1931年には度重なる不貞と度を越した散財を理由に、エヴァリンは離婚を突きつけ、社交界で大スキャンダルに。

 

 さらに1933年には、ワシントン・ポスト社が破産し、経営破綻を招いたエドワードは「病的な浪費癖」を理由に裁判所から精神病院に無期限で強制入院を宣告されてしまった。それから約8年後の1941年、エドワードは病院の一室で心臓発作により死亡

 

 同じ1941年、夫妻の愛娘”イーヴィー”が19歳の若さで還暦近い政治家と結婚したのだが、5年と経たぬうちに24歳の若さで睡眠薬の過剰摂取により死亡してしまった。

 

 相次ぐ身近な死に加え詐欺師に10万ドル以上のカネを騙し取られるなど、その後も不幸に襲われたエヴァリンは多額の負債を抱え、「ホープ・ダイヤモンドの呪い」の陰に怯えながら、60歳で亡くなったという──。

 

【伝説の真相】
 マクリーン夫妻の子ども2人の不慮の死は事実だが、エドワードの父母については、当時としては寿命。また、離婚原因の女癖や浪費については、結婚以前から問題だったとエヴァリンが回顧録で記している。さらに、ワシントン・ポストも、何度も経営危機を経て何人もオーナーが変わっていたので、呪いのせいとはいい難い。なお、多額の負債もあった一方で、宝石以外にも遺産やエヴァリンの父の信託があり、子どもたちは何不自由なく暮らせたようだ。

 

 

■ダイヤの呪いの「残穢」が…

 

スミソニアン博物館
数奇な運命を経て、現在、呪いのホープ・ダイヤモンドを収蔵する米・スミソニアン博物館 画像:Public Dommain via Wikimedia Commons

 1947年にエヴァリン・ウォルシュ・マクリーンが亡くなった時、彼女は遺産と共にホープ・ダイヤモンドは「5人の孫たちが25歳になるまで売却を禁ず」と遺言を残した。しかし、わずか2年後に負債の整理のため遺産の管財人がハリー・ウィンストン社に売却。

 

 その後は、同社が世界中の展示会や事前イベントで展示したのだが、研究者の勧めもあり、アメリカ合衆国が運営するスミソニアン博物館に寄贈することになる。

 

ホープ・ダイヤモンド
実際にスミソニアン博物館にホープ・ダイヤモンドが送られた時の小包。 画像:United States Post Office Department, Public domain, via Wikimedia Commons

 伝説によれば、この時、ホープ・ダイヤモンドをスミソニアン博物館に配達した郵便配達員のジェイムズ・トッドに“残穢(ざんえ)”ともいうべき、ダイヤの呪いが襲い掛かったという。配達してから1年と経たないうちに、トラック事故に遭い足を骨折し、別の事故をで頭部に外傷を負った。

 

 さらに妻が心臓発作で急死し、飼い犬は首を鎖で絞め殺された状態で発見される。最後の止めは自宅が不審火で焼け落ちてしまった。彼を次々と襲った不幸は、いやでも人々に「ホープ・ダイヤモンドの呪い」の恐怖を思い起こさせた──。

 

【伝説の真相】
 実は、このホープ・ダイヤモンドの呪いについて、ジェームズ・トッドその人にワシントン・ポスト紙の記者が「あなたの不幸はホープ・ダイヤを運んだせいでは?」と尋ねている。トッドの答えは「私はそんなものは信じない。すべては気の持ちようさ」と語ったという。火事についても「4人の子どもが火事で焼け落ちた部屋にいなかったから、むしろ僕は幸運さ」といい、もし、本当に呪いが存在するなら、もっと多くの一般大衆が不運に見舞われたはずだと完全否定している。