■人工的に天才を生み出す実験が!

右脳の働きを磁気で抑制し、人工的にサヴァン症候群を誘発する実験。立っているのがアラン・スナイダー博士

画像引用:「Explaining and inducing savant skills: privileged access to lower level, less-processed information」(THE ROYAL SOCIETY Published:27 May 2009)

 経頭蓋磁気刺激法(TMS)という脳治療装置がある。強力な磁場を脳に当て、脳の神経に強制的に電流を流して、精神疾患を改善する装置だ。この装置を使うと、脳を活性化させるだけではなく脳の機能をダウンさせることもできる。

 

 そこでTMSを使って左脳の動きを止め、本当にサヴァン症候群のような症状が現れるかどうかが実験された。

 

 オーストラリア・シドニー大学アラン・スナイダーが2002年から行なっている「シンキング・キャップ」 は、帽子型のTMSを使って左脳の機能を抑制し、人工的なサヴァン症候群を誘発できるかどうかの実験だ。

 

 今のところ、成功率は個人によって異なり、およそ半分。またサヴァン症候群と同様の状態を誘発できても、持続時間は短く、およそ45分でほとんどの能力は消失した。またある人は描画力、ある人は数学といったように引き出される能力にも違いがあり、しかも、この状態が発現している間の記憶はほぼないこともわかった。

 

■なぜ人工天才は“役立たず”なのか 

画像:shutterstock

 TMSを利用して人工的にサヴァン症候群を作った結果、わかったのはサヴァン症候群はたしかに天才であり、その天才はかなりの確率で誰にでもある能力だということだった。

 

 しかし、左脳を止めてサヴァン症候群の天才を発現させると、その人はテイラーが脳障害で苦しんでいた時のように、社会生活が送れなくなる。人工的にサヴァン症候群になるというこの実験は、いわば、強制的に左脳を脳梗塞と同じ状態にしているわけだ。では、その時、脳の中で何が起きているのだろう?

 

 通常、目や耳といった感覚器官の情報は、右脳に送り込まれる。右脳は感情や感性を生み出すので、わあキレイ! という感情は反射的だ。なぜキレイと考えて、キレイだと思う人はあまりいないだろう。一方、左脳は私たちが見聞きすることに意味を与える。つまり、左脳を止めるということは、脳が見聞きしたことに意味を与える作業を行わないということだ。

 

 人間は絵を描く時、風景を色や形、奥行きなどに分解して処理し、できるだけ無駄な情報は記憶しないように工夫する。こうした作業も左脳が行なう。なので、私たちが見ている風景は、すでに左脳によって情報を減らされた風景であり、生の風景、脳が処理する前の風景を見ることは難しい。

 

 左脳の動きを止めると風景がそのまま意識に出現する。だからサヴァン症候群の患者は、通常は左脳がカットする微細な部分まで描写できる。その代わり、分類=意味を考える作業はすっ飛ばされる。人工的なサヴァン患者が絵を描いたことさえ忘れてしまうのは、人間は分類することで記憶するためだ。分類する前の情報は記憶しようがない。

 

 サヴァン症候群の患者の中には、電話帳を丸ごと一冊を覚えてしまい、名前を言えば電話番号を答えるという超人的な記憶力の持ち主がいる。しかし、その人は電話帳に載っている名前も、おそらくは電話が何かも理解していない 。コンピュータが記憶している数字の意味をまったく理解していないように、ただ無意味に記憶するということだ。

 

 サヴァン症候群の患者は記憶力や計算能力がずば抜けていても、それを社会的に意味あることにまったく使えないためだ。それが右脳の世界だ。

 

■マインドフルネスもやり過ぎると・・・

奇跡の脳
奇跡の脳

左脳が働かなくなった時、現れた驚異の世界。脳神経学者が描いた私たちの中に潜む未知の記録、『奇跡の脳』(竹内薫訳・新潮文庫)

 ここ10年ほど日本でもブームとなり、取り入れる企業も多くなったマインドフルネスだが、実はこのある種の瞑想法を極めるとテイラーと同じ脳の状態になる。

 

 阿羅漢(あらかん/あらはん)という言葉をご存じだろうか?

 

 日本マインドフルネス学会の精神科医の方に聞いた話だが、マインドフルネスは「今」に集中し、過去の後悔や未来への不安を断ち切るトレーニングだ。いろいろ考えて悩み、仕事のパフォーマンスが落ちることを防ぐため、マインドフルネス瞑想で「今」だけに集中するように脳をトレーニングする。

 

 では、本当に「今」に集中すると人間はどうなるか? 時間の感覚を失い、一瞬一瞬を生まれたての生物のようにまぶしく美しくありのままに受け止める。その状態まで至った人を仏教では聖者として崇め、阿羅漢と呼ぶ。

 

 しかし、脳障害のテイラーが社会生活が送れなくなったように、阿羅漢に至った人は社会生活が送れなくなる。 たしかに神に近くなるのかもしれないが、日常生活が送れなくなるのだ。

 

 この話を教えてくれた精神科医は、だから仏教に教団が生まれたのだといった。修行により阿羅漢に至ったものの、生活できなくなった聖者の面倒を見るために教団ができたのだそうだ。悟りを啓くのも大変である。