■評価が一変した「大航海時代」の冒険家

クリストファー・コロンブス
クリストファー・コロンブス。昭和世代の日本人には「大航海時代の英雄」なのですが……。 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 2024年6月18日、人気ロックバンドMrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のMVが差別的な表現があるとして炎上し、謝罪と削除に追い込まれた。コロンブスに扮したメンバーがサル(猿人?)に見立てた先住民を引き連れるという酷い内容だが、当のコロンブスその人もトンデモなく酷い逸話があるのをご存じだろうか?

 

 クリストファー・コロンブスといえば、アメリカ大陸を「発見」した15世紀、大航海時代の冒険家だ。現在でもアメリカ合衆国各州をはじめ、世界各国で10月の第二月曜日は「コロンブス・デー」として彼の功績を讃える祝日となっている。ただし、実際には彼より500年ほど前にヴァイキング(ノルマン人航海者)がカナダ北東部に到着していたが、知名度は圧倒的に上だ。

 

コロンブス・デー
コロンブスの「新大陸発見」を記念した祝日だったコロンブス・デーも現在は賛否両論に……。 画像:shutterstock

 そして、欧州と大陸間の航海技術と交易・交流の発展を促したとして、歴史教科書にもよく登場していた。この交流は、歴史学者のアルフレッド・W・クロスビーによって「コロンブスの交換」と呼ばれていた。ジャガイモやトウガラシも、コロンブスによってアメリカ大陸から旧大陸に伝来したものだ。

 

 しかし、1990年代を境として、中南米を中心にコロンブスを英雄視する史観への批判が高まっている。実際、つい数年前の2020年6月20日にも、アメリカ・ミネソタ州で人種差別抗議デモの参加者がコロンブス像を破壊する事件が起きた。

 

 歴史上の偉人、大航海時代の英雄からコロンブスの評価が一変したのはなぜなのだろう? それは、コロンブスが先住民に行なった弾圧と残虐行為のせいだ。

 

コロンブス像の破壊
2020年6月、コロンブス像破壊事件の現場写真。 画像:shutterstock

■先住民を「商品」と見たコロンブス

 コロンブスがアメリカ大陸に到達したのは1492年10月12。当時はスペインとポルトガルがインド航路の開拓競争をしていた時期だ。コロンブスは地球球体説を信じ、西回りの航路を開拓するとともに、黄金の国ジパングの富を求めたというのが通説だ。

 

コロンブスの上陸

コロンブスの西インド諸島上陸を描いた一枚。思えばこれが彼の絶頂期だった。

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 スペイン王家の支援で決行された第一次航海にて、一行はアメリカ大陸近隣のバハマ諸島・グアナハニ島(現在のサン・サルバドル島)に上陸し、周辺の島々を探索した。先住民の反応は、歓待したり、逃亡したりと様々だったようだが、コロンブスの先住民に対する見方は一貫していた。すなわち「商品」だ。実際、到達同日の日記の中で、彼は先住民を「利口な、いい召使になるはず」と書いている。

 

 翌年3月にイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ)に拠点を構えたコロンブスはスペインに一時帰国。9月に第二次航海に出発した。しかし、イスパニョーラ島に帰還したコロンブスが見たのは、破壊された拠点であった。

 

インディアスの破壊についての簡潔な報告
後に起こる先住民の虐殺や弾圧、富の収奪もコロンブスの「成果」と言えるだろう。 画像:ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』より/Public Domain via Wikimedia Commons

 入植者の略奪行為に対する先住民の反撃が原因だ。拠点はモンテ・クリスティ(現ドミニカ)に再建されたが、肝心の金銀は少量しか見つからず、食糧難と疫病で入植者達のフラストレーションも溜まっていく。

 

 そこでコロンブスは、先住民を「改宗した通訳」という名目で奴隷とし、本国に送ることで儲けを得ようとした。しかし「奴隷狩り」は先住民の反乱を招き、捕縛した先住民捕虜は金山鉱山で使い潰された。入植者同士のトラブルも多発し、入植地は地獄の様相を表し始めたのだった。

 

 

■冒険家コロンブスの功罪

コンキスタドール
コロンブスによって「コンキスタドール」と呼ばれるヨーロッパ人によるアメリカ大陸「侵略」の道が開かれた。 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 1498年5月30日から、コロンブスは第三次航海に出発。しかしその頃、イスパニョーラ島では統治を任せた弟バルトロメの失政と重税で、反バルトロメ派の入植者や先住民を交えた三つ巴の内乱が発生していた。

 

 もともと奴隷に否定的だったスペイン王室は、相次いで報告されるコロンブスの悪評の前に、とうとう彼を見限る。代わりの総督を派遣し、コロンブスは弟バルトロメともども逮捕される。釈放後に最後のチャンスとして第四次航海を決行するも、待ち受けていたのは船の難破と漂流生活というツラい現実だった。

 

 その後、コロンブスはスペイン中北部のバリャドリッドの地で失意の生活を送り、5月20日に死亡。最期まで、自分の発見した島はアジアだと主張し続けていたという。

 

コロンブスの末路

カネも名誉も失い失意の中、スペインの片田舎で寂しい最期を迎えたコロンブス。

画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 コロンブスに始まるスペイン人の入植により、集落や文化は破壊され、住人達は奴隷となり、入植者や家畜経由で持ち込まれた天然痘などの病原体で、先住民は次々と亡くなった。アメリカ大陸とその周辺の人口は17世紀までに10分の1以下に落ち込み、先住民族の社会は壊滅状態となっている。

 

 このように、コロンブスを虐殺者とする見方は一理ある。しかし、なかには彼の意図に反した騒動もあり、新大陸への西方航路を発見した功績はやはり大きい。負の一面を重んじるか、正の功績を見るべきか。コロンブスの善悪の判断もまた難しいものがある。

 

【参考資料】
『先住民から見た世界史 コロンブスの「新大陸発見」』
山本紀夫・著(角川ソフィア文庫)
『コロンブス 全航海の報告』クリストファー・コロンブス・著/林屋永吉・訳(岩波文庫)
『コロンブス:聖者か、破壊者か』ミシェル・ルケーヌ・著/大貫良夫・監修(「知の再発見」双書/創元社)