■猛インフレ招き列島改造は頓挫
角栄の政策は列島改造景気を引き起こし、国内は投資ブームに沸いていた。しかし、開発候補地では土地の買い占めが横行し、土地価格は高騰した。
14兆2840億円もの超大型予算で教育環境や老人福祉は大幅改善されたが、民間への過度の資金投入は強烈な物価高にも繋がった。
後に「狂乱物価」と呼ばれたインフレは1973年(昭和48)10月の第一次オイルショックが原因とされていたが、実は田中内閣の政策にも原因があったのだ。
そのせいで、列島改造は中途で撤回されている。
■金権政治とロッキード事件で凋落
角栄を語るうえで避けては通れないのが、「金権政治」と「ロッキード事件」だ。金権政治とはカネで権力を握る政治体制のことで、戦後昭和の自民党はバラマキによる選挙対策が当たり前だった。
総裁選でも「ニッカ・サントリー・オールドバー」という隠語が飛び交った。別にウイスキーを貰ったという話ではなく、ニッカは候補者2名からの献金受け取り。サントリーは3名。オールドバーは全員からを意味する。
角栄もカネによる政治運営を好み、1974年(昭和49)の参議院選挙では、企業献金で用意したヘリにて全国を飛び回り、タレント候補を何人も擁立するという選挙戦を実施した。
だが、そのあからさますぎるやり方は「金権選挙」と批判の的となり、自民党が惨敗する一因となってしまった。
さらに同年10月10日に、「文藝春秋」が田中金脈の暴露と称して所有企業群との利益供与を暴露し、角栄は翌年末に退陣。実は角栄が首相の座にいたのは、たった3年弱にしか過ぎなかったのだ。
そして、退陣後も角栄の凋落はとどまらなかった。1976年(昭和51)に発覚したロッキード社との癒着と賄賂の発覚(ロッキード事件)で、自民党からの離党まで余儀なくされたのだった。
■失脚しても保ち続けた影響力
カネと癒着の問題からみると、角栄は確実にクロだ。当時のメディアも、金権選挙以降は「闇将軍」と呼び、手のひらを返している
しかし、角栄は世襲やエリート層ではないので政治的な後ろ盾がなく、カネに頼るしかなかった。そのカネを原動力とし、新幹線や高速道路網の整備、日中国交正常化といった施策を推し進めた。いわば角栄は、高度成長期以降の発展を進める必要悪だったともいえる。
そんな角栄は、退陣後も高いカリスマ性を維持していた。
田中派は自民党最大の大派閥となり、「ロッキード選挙」と呼ばれた1976年(昭和51)総選挙では、過去最高の投票数で無所属当選を飾った。「人たらし」と呼ばれた人気は、金権を失っても健在だったのだ。
そして田中角栄は、良くも悪くも昭和を代表する政治家として、歴史に名を残している。
『田中角栄 昭和の光と闇』服部龍二(講談社)
『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』早野透(中央公論新社)
『新幹線の歴史 政治と経営のダイナミズム』佐藤信之(中央公論新社)