歴史上の怪人物として、「怪僧ラスプーチン」という名前を耳にしたことはあるだろう。教科書で「怪僧」という謎めいたキャッチフレーズがつくのは、ラスプーチンだけ。たしかに、彼について回る評判やエピソードは「ペテン師」「女たらし」「不死身」など、怪しくて謎だらけなのだ。今回はそんな「怪僧ラスプーチン」の実像に、迫ってみたい。
■各地を放浪し「神の人」に!?
グリゴリー・ラスプーチン(1859-1916)は実在した人物で、19世紀末から20世紀初頭に活動した、帝政ロシアの祈祷僧。
シベリアの寒村で農民の子として生まれ、学校に通わなかったため、読み書きができなかった。だが後に、ロシア正教から分かれた異端のカルト宗派「スコプツィ(去勢)派」に入信、若手の宗教指導者として頭角を現していく。
その後、村で結婚して子供をつくったが、ある日、「巡礼に出る」と言い残して村を出奔。ラスプーチンは修行僧として各地を放浪し、人々の病気を治療して回り、急速に信者を獲得していった。
こうして「神の人」と呼ばれるようになったラスプーチンだったが、ロシア正教会で公式の地位を得ておらず、どの宗派にも属していなかった。ただ、キリスト教系のカルト宗派で「長期間の放蕩の末に、性的に疲弊した状態に達した時のみ、人は神に近づく」と信じるフリスト派に属していた、という説も存在する。
ちなみに「ラスプーチン」とは、ロシア語で「放蕩者」を意味する「ロスプータ」という言葉が語源。それが変化し、ラスプーチンという姓になったという。出身地の農村では、ラスプーチン姓を名乗る農民は父親を含め三十数名いた。
■オカルトブームの首都へ進出
こうして、ラスプーチンは地元で秘密の祈祷会を開くようになり、そこでは女性信者がラスプーチンの体を洗ったり、奇妙な歌を歌ったり、乱交パーティーを行なっているなどと噂された。
1メートル93センチの巨大な体格で、不潔な身なりに、眼光鋭い目つき。現在、写真に残っているラスプーチンの姿は、どれも不気味な魔力を放っている。なお、若い頃のラスプーチンは「老人」をイメージさせるために、年齢を上にサバを読むことがあったという。
当時のロシアは200年ほど続いたロシア帝国の末期。貴族階級の人々はオカルトに傾倒し、首都であるサンクトペテルブルクでは神秘主義が大流行中だった。ラスプーチンは奇妙な態度と怪しい風貌などからその流れにうまく乗り有名になった。
■皇后を篭絡し宮廷に影響力を!?
そして、怪僧ラスプーチンの名を不動のものにした「事件」は、1906年に起こった。当時、不治の病と恐れられた血友病に苦しんでいたアレクセイ皇太子を治療したことで、ロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后に気に入られ、宮廷で力を持つようになったのだ。
ただし、医学的な知識も能力もない、ただの祈祷僧だったラスプーチンが、どうやって血友病患者を治療することができたのかについては、今日まで最大の謎となっている。
時の絶対権力者である皇帝から信頼を得たラスプーチンだったが、政府関係者や貴族たちからは「ペテン師」だと思われ、忌み嫌われた。
とはいえ、ラスプーチンは人を魅了する力があり、アレクサンドラ皇后をはじめ、宮廷貴族の子女から熱烈な信仰を得るようになる。ただ、一介の祈祷僧が、不自然なほど急速に宮廷に食い込んだため、「これは彼の性的な魅力と超人的な精力によるもの」と囁かれ、なかには「アレクサンドラ皇后と愛人関係にある」という噂まで出回ったという。