■茨城県日立市に眠る謎の最強神

 

大甕神社
茨城県日立市の高台に鎮座する大甕神社。関東有数のパワースポットとして崇拝される理由とは?

 茨城県北部、太平洋に面した日立市にはミステリアスな神社が点在する。なかでも有名なのが日立の海を見下ろす高台に鎮座する大甕(おおみか)神社だ。

 

 何よりミステリアスなのはその御祭神・甕星香々背男(ミカボシカガセオ)。日本書紀には天香香背男(アメノカガセオ)として登場し、別名は天津甕星(アマツミカボシ)。天に輝く星を意味するという「甕星」の名を冠した星の神とされる。太陽神である天照大神を中心とした日本神話のなかでは異質な存在だが、それ以上に異質なのが、日本書紀に描かれたその姿だ。

 

武甕槌神

日本神話最強クラスの武神・武甕槌神(武御雷神)でも平定できなかった知られざる最強神が天香香背男(アメノカガセオ)だ。

画像:八島岳亭,Public Domain via Wikimedia Commons

 日本書紀によれば、国中の”まつろわぬ神々”を征服した武甕槌神(タケミカヅチノカミ)経津主神(フツヌシノカミ)が「どうしても従わないやつがいる」と泣きを入れたのが「カガセオ」だったという。また、別の個所でははっきりと「天に悪神あり」と名指しされている。

 

 出雲の国譲りでも圧倒的な強さを見せた日本神話最強コンビですら征服できなかった「最強の悪神」。こうしたイメージから「日本神話におけるルシファー」などと呼ばれることもあり、太陽に逆らい最後まで天に輝き続ける明けの明星・金星(奇しくもルシファーの象徴)に擬せられることもある。

 

悪神カガセオの実像とは…?

 

経津主尊

香取神宮に祀られる経津主尊(フツヌシ)。前出の鹿島神宮に祀られるタケミカヅチと並び古代ヤマト王権の東国平定の象徴だ。

画像:八島岳亭,Public Domain via Wikimedia Commons

 この謎の悪神カガセオの神話は、古代日本の征服戦争を反映したものという説がある。というのも、タケミカヅチを祀る鹿島神宮とフツヌシを祀る香取神宮は、そもそもヤマト王権による東国平定の最前線基地だったとされており、そこから約70キロほど北にあるのがカガセオが祀られた大甕神社。

 

 言い換えれば、抵抗する東国側の最前線が大甕神社のある一帯だと考えられる。しかも、不思議なことに同じ日立市には、「天から光る玉が落ちてきて湧いた泉」を神域とする泉神社や、天に伸びる光の柱が宇宙から目撃されたとされる御岩神社など、星、天、宇宙にまつわる歴史深い神社が集まっている。

 

 もしかすると、太陽を祀るヤマト王権に抵抗する、星や天を祀る星辰信仰の人々の根拠地がこの地で、そのリーダーあるいは象徴がカガセオだったのかもしれない。

 

大甕神社
遠方から望む大甕神社。神域全体が小高い山となっているのがわかる。

 

■カガセオが封じられた「宿魂石」

 

大甕神社
宿魂石の由緒書と奥に見えるのが後に建立された甕星香々背男を祀った社。

 さて、最強の悪神と恐れられたカガセオだが、最終的には大甕神社のご祭神である武葉槌命(タケハヅチノミコト)によって封印される。伝説によれば、カガセオが封じられた大岩は最期の抵抗よろしく、ニョキニョキと天に向かって伸びていったのだが、武葉槌が蹴り折って各地に飛び散ったとされる。

 

大甕神社
「宿魂石」と呼ばれる磐座全体がご神体。登拝する時はくれぐれもご用心を。

 そして、現在の大甕神社がある地に残ったカガセオの荒魂を封じた岩は「宿魂石」と呼ばれ、いまも拝殿の背後にそびえ立っている。この宿魂石がちょっとした岩山で、鎖につかまって登るような急坂もあり、現地取材の際にも普段の運動不足が祟りヒヤヒヤしながら登った。

 

大甕神社
これが参道のハイライト。本殿へと向かう急坂。ちょっとしたロッククライミングだ(笑)

 

 ところで、蹴り砕かれた石の一つは日立市久慈港の沖合2キロほどの海中に落ち、いまも「御根磯(おんねいそ)または「おんね様」として、例年5月5日には勇壮な船渡御による「御濱降神事」が執り行なわれるなど、地元の人々の崇敬の対象となっている(宿魂石と地中で「根」が繋がっているとの説も)。

 

 古来、星は海で暮らしを営む人々の崇拝の対象となっている。星の神である甕星香々背男が古代から今もなお信仰されているのは、この地に星辰信仰が根強く残っている証拠といえるかもしれない。

 

 さらに、カガセオには隠されたもう一つの顔がある。そして、それこそが巳年の今年、大甕神社に参るべき最大の理由なのだ。次ページからは、その「隠された顔」について見ていこう──。