■皇位を狙った三大悪人の一人

時代はくだり江戸時代の歌舞伎の世界では、すっかり悪党(色悪)扱いの道鏡だが、その実像は……。
画像:歌川国貞「ゆげの道鏡(松本幸四郎)」/Public Domain
朝廷に逆らって「新皇」を名乗った平将門、後醍醐天皇を放逐した足利尊氏。そして、皇族でもないのに皇位を狙った弓削道鏡(ゆげのどうきょう)の3人は逆賊とみなされ、「日本三悪人」と呼ばれてきた。
とくに道鏡は、女帝の寵愛を利用したハレンチな僧侶として、現在でも悪名が高い。そんな道鏡を重用したのは第48代称徳(しょうとく)天皇だ。

道鏡を重用した称徳天皇(孝謙上皇)。その背景に何があったのか……?
画像:Public Domain via Wikimedia Commons
称徳天皇は第45代聖武天皇の娘で、女性で初めて皇太子となり、譲位によって第46代孝謙天皇となる。そして、758(天平宝字2)年に淳仁天皇へ皇位を譲って上皇になるも、ふたたび称徳天皇として即位(重祚/ちょうそ)する。
道鏡と出会ったのは称徳天皇がまだ孝謙上皇だったころ、病に倒れた上皇を祈祷で治すよう道鏡が命じられたのがきっかけだ。
■仏教と呪法に通じた天才僧侶

道鏡は冬には雪に覆われることもある葛城山系で山岳修行に励んだとされる。
画像:KENPEI, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons
河内国(現・大阪府)出身の道鏡は、義渕僧正や東大寺の開祖・良弁(ろうべん)など高僧に師事し、密教経典から禅まで学んだエリート。その一方で、故郷で修験道の本場でもある葛城山で山岳修行を重ねて秘法を会得していたという。
孝謙上皇の治癒に当たったときの道鏡は60歳を越えていた(もう少し若かったという説もある)。対する孝謙上皇は44歳。皇太子になったことから夫を持たず、子もつくらなかった。すでに両親も亡くなっていて、上皇は天涯孤独の身だった。

江戸時代に描かれた孝謙上皇と道鏡の出会いのシーン。
画像:十返舎一九・歌川国安「弓削道鏡物語第六巻」より(国会図書館)
そこに現れた道鏡は、親身になって上皇を看病する。やがて上皇は道鏡に恋心を抱き、仏法の師としても仰ぐようにもなっていった。ただし、上皇が道鏡を寵愛したのは、寂しさや純な恋心だけではないとの逸話も……。
江戸時代の川柳に「道鏡は 座るとひざが 三つでき」というものがあるように、道鏡は人並み外れたアレの持ち主だったという伝説がある。個人的には「デカけりゃ、いいってもんじゃない!」と強く主張したいのだが、上皇は魅力に感じたのだろう。道鏡を常に自分の近くに置くようになった。