イギリスには、12世紀の半ばから今も語り継がれる「緑色の子どもたち」という都市伝説が存在する。この不可解な事件は、スティーヴン王(在位1135~1154年)の治世中に起こったとされる。イングランド東部、北海に面するサフォーク州内陸部のありふれた農村、ウールピット(Woolpit)村に”奇妙な子どもたち”が現れたのだ。
■村外れの穴で見つかったのは…

村外れの森の中、狼罠の穴で見つかった奇妙な子どもたち。
画像:shutterstock(生成AI画像)
村の名前の由来となった「オオカミを捕まえるための深い穴=ウルフピット(wolf pit)」のそばで、二人の子どもが見つかった。姉と弟らしき女の子と男の子は、見たこともない奇妙な服を着ており、誰も理解できない不可解な言語を話していたという。
そして、何より奇妙だったのは、二人の肌の色が全身、緑色だったことだ。
二人は近くに屋敷を構える、騎士の称号を持つ地元の名士、リチャード・ド・カルン卿のもとに連れて行かれ、そこで食べ物を勧められたが、何を与えても食べるのを拒んだ。ただし、生のソラマメ(Broad beans)だけは、喜んでむさぼるように食べたという。
この奇妙な子どもたちは、保護されてから日が経つにつれて普通の食事も食べるようになり、肌の緑色も薄くなっていったという。だが、年下の男の子は次第に衰弱し、死んでしまった。
■少女が語った「地下世界」の話

彼らが暮らしていた土地は「太陽が昇らない世界」だっと証言。
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一方、女の子はゆっくりとだが英語を話せるようになり、
「自分たちはセント・マーティンズ・ランド(St. Martin’s Land)という、一年中、太陽が昇らない薄暗い、すべての住人が緑色の肌を持つ地下世界から来た」
「父親の牛の群れを追っていたところ、大きな音が聞こえて突然、自分たちが見つかったオオカミの穴の近くに移動してしまった」
などと語ったという。
後に女の子は「アグネス」と名付けられ、カルン卿の召使になり、その後は結婚して子供を1人育てたという。ただ、アグネスは行動がかなりだらしなく、勝手気ままな性格だったとも伝えられる。
■二人は「戦争難民」だった?

この話は、1220年ごろに、歴史家であるウィリアム・オブ・ニューバーグ(ウィリアム・ヴァーヴァスとも)の著書『英国事件史(Historia rerum Anglicarum)』や、シトー会の修道士で年代記作家だったラルフ・オブ・コッジホール が記した『英国年代記(Chronicum Anglicanum)』など数冊の書物に記載されているが、その詳細や真贋は不明点が多い。
はたして2人の奇妙な子どもはどこから来て、なぜ緑色の肌をしていたのか? こうした謎については、
「2人はスティーヴン王(あるいは次代のヘンリー2世)に迫害されたフランドル移民の子孫で、フラマン語しか話せなかったから言葉が通じなかったのだ」
「緑色の肌は栄養失調あるいは、ヒ素中毒によるものだった」
など”現実的な”解釈もされている。確かに当時の英国(イングランド)は大陸を巻き込んだ王権争いが続き、日本で言えば南北朝や応仁の乱のような動乱の時代。北海を挟んだフランドル地方(現在のベルギー)から移民が来て、隠れ住んでいたとしてもおかしくはない。
ただ、北海に面したサフォーク州ウールピット村の住民が、誰一人、海を挟んだ向かい側のフランドルの言葉を一つも理解できないというのは、納得のいかないものもある。