■『王は愛する』でイム・シワンが演じたウォンが、実際に辿った稀有な人生
幼い頃から元で育ち、祖父フビライの寵愛を受けて育ったウォン。対して、父の第25代王・忠烈王(チュンニョルワン)は、狩猟を好み、宴会好きの放蕩もので有名だったため、ウォンは父親を嫌っていたといわれている。
1290年、元の反乱勢力が高麗に侵入したとき、忠烈王は「自分は老いぼれだから」と江華島に避難して戦闘を回避するが、若きウォンは、祖父から1万騎を借り受けて戦い、反乱軍の鎮圧に貢献している。そうして、父を凌駕する権力・後ろ盾を手にしたウォンは、高麗に一時帰国した際も、自身が王のように振る舞い、貴族たちの反感を買ったそうだ。
1297年、ウォンの母である元成(ウォンソン)公主が39歳で亡くなる。慌てて元から帰国したウォンは怒りを爆発させ、父王の愛妾であるムヒとその一党、40人あまりを残らず斬り捨て元に戻っていった。そんな大それたことがまかり通ったのも、すでに彼がもつ権力が父王を上回っているからだった。権力を失った忠烈王は元の皇帝に対し、譲位を申し出る。
翌年、ウォンが高麗に帰国し、25歳で26代王となる。ウォンは一部の貴族と宦官がはびこる側近政治の排除をかかげ、人事制度を改革。また、貴族が所有する土地を没収して民に分け、軍制や税制も整備していく。
だが、急速な改革は特権階級の反発を呼んだ。やがて別の妃への寵愛に嫉妬した薊国大長公主ことブッダシュリ(元の皇族)の誣告事件をきっかけに、忠烈王勢力に陥れられたウォンは、わずか7カ月で廃位となる。